渋川市・利根川見下ろす、夢の山城跡。
不動山城跡の特徴
利根川を眼下に望む荘厳な山城跡で、歴史を感じられる場所です。
ニ城や多留要害と呼ばれる城の壮大な堀が特徴的です。
刀川小学校の近くに位置し、藪の中にひっそりと佇んでいます。
渋川市にある利根川を眼下に望む山城跡です。案内看板の近くには車を駐める小さいスペースがありそこから本丸に向けて歩いて行きます。登城路の左右はほぼ竹林です。通路は竹が切り取られ道が開かれています。竹藪越しに土塁、空堀、二の丸、横矢掛かり、本丸と遺構ををはっきりと確認できます。本丸からは急な崖下に利根川を望むことができます。景色は抜群です。以下は案内板の説明文です。渋川市赤城町見立字二城にあって白井城と利根川を隔ててその重要な支城であった。白井城が攻められたとき二度も白井城を迎えた事実があり、戦国の読みは上杉・武田の諸軍と戦ったこともあったが。天正十八年小田原の北条氏と運命を共にした。上杉、前だの連合軍に攻め落とされて落城し廃城となった。
この城は別名「ニ城」、「多留要害」とも言われ白井城の退避の城のひとつです。城址から利根川越しに白井本城の眺望が素晴らしいです。
別名 見立城・二城城二城ヶ丘に建てられた刀川小学校の西に位置する台地の先端部分にかつて築かれていた並郭式崖端城で、白井長尾氏家臣 見立権太郎清平の築城と伝わる天正8(1580)年、真田軍本陣の海野中務大輔幸貞が先陣騎馬700騎で攻めるも落とせず、大将 真田昌幸に叱咤された後に全騎下馬して突撃し漸く陥落したと「加沢記」に伝わる(翌年、海野幸貞は謀反の疑いを掛けられ自害)案内板が2枚、樽の堤寄りの土手と刀川小学校のプール脇から少し進んだ藪の中に立っている35年程前は刀川小学校側から梅林を抜けて城郭部分に入れた(課外授業が行われたりした)が、今では完全に藪で閉ざされてしまっているたしか前田・上杉連合軍によって利根川対岸にあった白井城と共に落城し、廃城になったと何かで見た覚えが…また調べてみます。
| 名前 |
不動山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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激薮だが堀は大規模である程度大きい山城だと言う事が分かる。特に竹薮の中は規模が大きな掘があって見所。