千歳川会所跡で歴史を感じる。
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| 名前 |
千歳川会所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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千歳川会所跡2024/05/24訪問北海道千歳市本町かめやホテルの看板のたもとにあります、「千歳川会所跡」です。説明板には、『江戸時代、松前藩では藩士たちにアイヌの人々との交易をする独占的な権利を与えました。やがて、藩士たちはこの権利を商人にあずけ運上金(税金)を納めさせます。権利のおよぶ範囲を「場所」といい、交易所として「運上屋」と呼ばれる建物が建てられました。寛政十一(一七九九)年、幕府は蝦夷地を直轄支配し、「運上屋」を「会所」と改名します。「会所」は幕府の役人もいて交易のほかに役所の出張所の役割もしました。千歳では文化元(一八〇四)年売場会所と買場会所の二ヶ所が立ち、蝦夷地で初めて鉄銭が交易に使われました。文化六(一八〇九)年二つの会所は一つにまとめられ「千歳川会所」となりました。安政四(一八五七)年、七月十八日、蝦夷地探検家そして北海道の名付け親として有名な松浦武四郎(一八一八~一八八八)は千歳を訪れ、千歳川会所のにぎやかな様子を上図のように描いています。絵によると会所はちょうどこのあたりに置かれていたようです。昭和六三年三月 千歳市教育委員会』と記されています。気にして見て見ないと見逃してしまいます。