文学の丘で美を感じるひととき。
| 名前 |
清水みのる詩碑「展望の中に」 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒431-1305 静岡県浜松市浜名区細江町気賀1814−85 あずまや |
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細江公園のあずまや周辺は「文学の丘」と名付けられており、令和7年5月11日に最も新しい美智子上皇后陛下御歌碑が建立されたため、この時点で合計7基の文学碑が立ち並んでいます。中には上皇陛下御製や上皇后陛下御歌の歌碑もあります。上皇陛下がまだ皇太子殿下であらせられた頃に、ご一家で昭和43年(1968年)~昭和58年(1983年)の15年間に9回、五味半島枇杷崎(現在の浜松市浜名区細江町気賀の西気賀地域)に建つ民間企業の静養施設にお越しになり、ご静養なさいました。そのご縁から五味半島枇杷崎は現在ではもっぱらプリンス岬と呼ばれており、元の名称をご存じないかたが多くなっています。この皇室との繋がりを後世に継承しようと上皇陛下御製碑・上皇后陛下御歌碑がこの地に建立されました。以下、文学の丘に建立されている文学碑などです。「皇太子御一家文学の丘御立寄記念」擬木標柱。上皇陛下御製碑。正面に「車窓よりはるけく望む奥浜名湖 東名の橋清かに浮かぶ」「細江町は皇太子ご一家ゆかりの地である昭和 四十二年に浩宮さまついで翌四十三年ご一家 はおそろいで細江へおいでになった以来四十 八年までの六年間と五十二年五十三年両年の 前後八年間にわたりご一家は細江で夏のひと ときをお過ごしになったご滞在の折りご一家は 近くの学校で開かれた球技に参加されたり花 火の夕べにもおいでになって町の人たちとの 交流の場をもたれ交歓をお重ねになった 昭和五十七年二月 細江町長 早戸新一謹書」刻。上皇后陛下御歌碑。正面に「上皇后陛下御歌 蛍 われら若く子らの幼く 浜名湖の 水辺に蛍追ひし思ほゆ 大谷青嵐謹書」刻。与謝野晶子歌碑。正面に「名を聞きて 王朝の貴女ときめきし 引佐細江も 気賀能町裏 與謝野晶子」、背面に「昭和五十三年十月再建」刻。※異体仮名註:能→の。清水みのる詩碑。正面に「展望の中に 光と緑がある そよ風と さざ波がある 清水みのる」刻。竹田智是歌碑。正面に「満かげして見渡すかたや白銀に 光りかゞよふ引佐細江湖 竹田智是」、背面に「昭和六十一年五月吉日建立」刻。※異体仮名註:満→ま。万葉集歌碑。正面に「遠江引佐細江の澪標(みをつくし) 吾を頼めてあさましものを 萬葉集 巻十四 譬喩歌」刻。吉野江水歌碑。正面に「古郷の小松の生うる山々の 親しくもあるか 圓ろやかにして 吉野江水」、背面に「細江町 昭和四十九年十月建之」刻。