平安から受け継がれる、稲乃売神社の歴史。
稲乃比売神社の特徴
延喜式神名帳に記載がある由緒正しい神社です。
平安時代からお祀りされている歴史の深い神社です。
山西風の社殿が特徴的な神社で魅力的です。
名前からして由緒ありそうです。平安時代の延喜式内の古社です。男衾郡の三座の一つになります。
延喜式神名帳の武蔵国男衾郡の項に記載のある式内社の論社の一社。荒川の南側に鎮座し、すぐ近くに日本百名城のひとつ、鉢形城跡がある。由緒については不明だが、室町時代に鉢形城ができたとき、今の鎮座地から遷座し、その後、秀吉の小田原攻めで鉢形城が落城した後、再び現在の鎮座地に復興したという。御祭神は稲田姫命、素戔嗚尊、大己貴命、少彦名命となっている。ネット情報のほか、御祭神は保食神や稲の精霊だったのではないかという説があるが、「稲の姫」という神名からの安易な発想では、と思う。同じ男衾郡内で、当社から西へ数キロ行ったところには式内社の出雲乃伊波比神社(論社)があり、稲乃比売とは当初から奇稲田比賣命のことではないだろうか。
良い感じに萎びています。鳥居より向こう側は行けませんでした。行政もどうかしたらよいのではと思わされます。
ありがたいです。
【山西風の社殿】武蔵国雄雄淳井井ノ御神社(原文)延喜式内社,武蔵國 男衾郡 稲乃賣神社。
小さいですが、平安時代からお祀りされている由緒ある神社です。神職の方は常駐していませんでした。
名前 |
稲乃比売神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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男衾郡式内社3座の1座、稲乃売(いなのひめ)神社の論社。資料によると、創建年代等は不詳ながら、当地一帯は『和名抄』に載る男衾郡八郷の内の「榎津郷」に比定される地で、渡来系氏族「壬生吉志」氏の在所であった。『地理志料』では、「稲乃売神」と『三代実録』貞観十七年(875)十二月の条に載る「稲聚神(いなつめ)」が同神で、更にこの「稲聚」の音と旧郷名「榎津(えなつ)」の音が通じることから、当地に稲乃売神社が祀られたと推測している。古代の祭祀は、『類聚三代格』の承和八年(841)五月条に「男衾郡榎津郷戸主外従八位上壬生吉志福正」とあることから、壬生吉志氏が行った可能性がある。恐らくこの時期、福正が当社に関与し、豊穣をもたらす稲霊を祀り、郷民の安泰を願ったのであろう。社名は、恐らく氷川信仰の流布により「氷川社」に変更されたものと推測され、これが幕末まで続いたが、時流により明治初年、旧社名「稲乃比売」に復した。ちなみに、社蔵の宝暦七年(1757)の社号額には「氷川大明神」と刻まれている。現在の本殿は、安政三年(1856)の再建で「鎮守再建一札」には、妻沼町聖天山の貴惣門を建築した林兵庫の名が見える。祀職は、天長一元年(824)以来の名家と伝える、相馬家が奉仕している。とあります。御祭神は稲乃売神。