散歩途中に寄る神社と公園。
伊奈利神社の特徴
交差点そばにあり、訪れやすい神社です。
倉稲魂命を御祭神とする由緒ある神社です。
小さな公園があり、子供も遊べるスペースがあります。
交差点そばある。
前原島伊奈利神社(まえはらじまいなりじんじゃ)御祭神 倉稲魂命由緒原島村三島社 小名今泉の鎮守なり稲荷社 前原島の鎮守とす天王社 窪ヶ谷戸の鎮守なり天神社以上四社吉祥寺の持(「新編武蔵風土記稿」参照)「風土記稿」原島村の項に「三島社 小名今泉の鎮守なり、稲荷社 前原島の鎮守とす、天王社 窪ヶ谷戸の鎮守なり、天神社 以上四社吉祥寺の持」と記されているように、古来、原島には鎮守が三社あり、それぞれ別の廓(村組)の人々によって祀られてきました。当神社は前原島の鎮守で、三社のうちで規模が最も大きく、氏子数も一番多かったことなどの理由から、明治六年(1873)九月には原島村の村社になっています。由緒については、「明細帳」には「創立不詳」とあり、氏子の間にも創建にまつわる話は何も伝わっていません。但し、本殿には、神璽と共に伏見稲荷から当神社別当の吉祥寺に宛てた分霊証書が納められていて、その日付が安永四年(1775)四月二十七日となっていることから、江戸時代の中期には既に現在のような姿で祀られていたものと推測されています。村社になってからもその祭祀状況に大きな変化はなく、全国的に合祀政策が実施された時期にも、他の無各社を合祀するということはありませんでした。これは、古くからの伝統を重んじると同時に、お互いを尊重し合うという原島の住民の気風の表れであったと思われます。そうした気風のためか、太平洋戦争の終結後も、信仰心の衰退などによる荒廃もなく、厚い敬神の念に支えられて現在に至っています。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)社殿に隣接する社務所兼前原島自治会館は、元・稚蚕共同飼育場でした。境内の稚蚕共同飼育場の昭和三十九年(1964)の建設記念碑には、「本建設工事一切は養蚕家の延べ三百八十九人の共同奉仕作業により完成」とあります。前原島は養蚕の盛んな地でした。社務所兼前原島自治会館建設当時は、農家はいずれもその収入の六~七割を養蚕に依存するほどだったといわれています。伊奈利の初午祭(旧暦二月初午)は、ひときわ盛大に行なわれます。この日には、祭典の後、「原島伊奈利神社初午祭」と木版で刷り込んだ繭の形をした紙に篠竹をつけて作った旗と、竹に紅白の繭玉を十五個ほどつけたものが古くから縁起物として配られる慣わしがあります。養蚕が盛んであったころは、境内に櫓を組み、その上で村芝居などの余興を行なったといわれています。稚蚕共同飼育場の裏には水路があり、その橋のたもとに厳島神社(弁財天)の祠があります。(ブログ「シルク民俗研究会 カイコローグ」参照)
神社のちいさな公園だけど、小さな子供ゎ、少し暇潰しになるかも。
名前 |
伊奈利神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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散歩の途中寄りました。ヤマダ電機の側の十字路を入ると評判の良い魚屋さんの通り向かいに有ります。石造りの立派な鳥居とその奥の赤い歴史のありそうな鳥居。社殿はこじんまりとした佇まい。社殿正面に向かって左側には大きな木が、守り神のようにそびえ立っていました。澄んだ濃い青空の中でお参り。とても清々しくなりました。ありがとうございます。動画や画像を、投稿しました。参考になれば幸いです。