歴史を感じる壬生城跡散策。
壬生城跡の特徴
壬生氏4代の居城として、歴史を感じる城跡です。
土塁や水堀が一部残り、散策に適した場所です。
公園内に歴史民俗資料館があり、文化を楽しめます。
二の丸跡に駐車して登城。門と南側本丸土塁の一部が整備されていますが、土塁の裏は公民館\u0026図書館。水堀も綺麗ではありますが、違和感は拭えません。あくまで「公共施設の入り口」と割り切って訪問されるのが良いかも知れません。図書館に併設された資料館は素晴らしいので、ある意味そちらがメインかもしれません。
石垣だけではない土塁や平城好きには散策しがいのある城跡です。城内ほとんどが住宅地ですが、戸建て裏に土塁や櫓台の跡がちらほら点在してます。鳥居元忠を祀る神社もありました。歴史好きには長居してしまう場所ですね。
町の公共施設が建っており、ほとんど何も残っていない。壬生藩領の境界を示す石の杭が展示されている。
2021年10月11日(月)に壬生町の街歩きで訪れた。案内板の内容壬生城を築いたのは、 戦国大名「壬生氏」 です。 壬生一族の滅亡後、 江戸時代になる と、初代将軍「徳川家康」を祀る東照宮建 設の拠点として再興され、東照宮の完成後 は、日光に参詣する歴代将軍の宿泊場所と して、本丸に広大な御殿が築かれ、将軍を 守るために、 将来有望な大名が壬生城主と なりました。 壬生城は、明治の初めに取り 壊されましたが、本丸の土塁と堀を残し、 城下に面影が残っています。
こじんまりとしてるが、なかなか整備された施設でした。
正面は広い駐車場と立派な門と水堀が有り、ワクワクしながら進むと、公園と公共施設だけだった。
歴史民俗資料館にて壬生城御城印頂きました。受付の対応がとてもいい感じでした。お堀の鯉は人を見かけると寄ってくるようです。
土塁は立派に残ってますが、他は…改変しすぎ?堀は空堀だったはずです。
一見素晴らしい土塁と水堀ですが、内側は洋風公園と町の施設が建っています。仕方のないことですが、遺構の残りとしてはそこまでか。あと、土塁馬踏みの一部と内法面が少し崩落しかけているので、補強した方がいいのではないか。戊辰戦争の時の宇都宮城攻城の際に用いられたという歴史的背景を加えての星3つとします。
名前 |
壬生城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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壬生城は壬生胤業によって築かれた城で、以後は壬生氏4代の居城でした。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めに際して壬生義雄は義弟・皆川広照とともに北条方についたため滅亡しました。その後、徳川家康の関東入封にともない結城秀康が城主になります。以降も日野根氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏とめまぐるしく城主が代わりますが、1712年(正徳2年)に加藤嘉矩と入れ替わって鳥居忠英が入封すると、以後は明治まで鳥居氏が8代つづきました。壬生城縄張りについてですが、本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・下台曲輪・正念寺曲輪と六つの曲輪が輪郭式に配置され、これらの曲輪は土塁と堀によって囲まれ、本丸は約140m四方の方形で、南と北に虎口が設けられていたそうです。壬生城の興味深い点は、徳川将軍家の日光への参拝(日光社参)の帰り道、四代将軍家綱まで、壬生城が宿泊所となったということです。このため将軍家の宿館に相応しい規模(563坪990畳)で書院造の御殿が本丸内に建設されだということです。本丸御殿のジオラマ模型を壬生町歴史民族資料館で見ることができます。さらにもう1つ、戊辰戦争の安塚の戦いも興味深い壬生城の歴史トピックなのですが、長文になるのでまたの機会に。現在、城址は本丸と二の丸の一部が「壬生町城址公園」として整備されており、本丸南側の土塁と空堀、三の丸土塁の一部が残っているほか、二の丸虎口跡に復元門が建てられています。