観心寺祈願の歴史を感じる。
天誅組河内勢顕彰碑の特徴
史跡に息づく天誅組の歴史を感じることができる場所です。
中山忠光主将が率いた壮大な活動を知る貴重なスポットです。
吉村寅太郎が訪れた観心寺での祈願が想い起こされます。
維新の魁、天誅組は中山忠光を主将に吉村寅太郎などが京都から淀川を下り堺を経由して富田林の水郡家を訪れ、観心寺で祈願、その後五條代官所を襲う。顕彰碑は錦織神社参道にあったが錦織神社に参拝したかは知らない。
名前 |
天誅組河内勢顕彰碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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身近にありながら気にしなかった。明治天皇のおじさん(中山忠光姉が明治天皇の生母)中山忠光を盟主に土佐脱藩浪士を中心として新しい夜明けの魁として討幕に立ち上がったが早すぎた行動で賊軍とされ一度長州へ落ち延びて再起を計るか、命尽きるまで戦い続けるかで纏まらない中、街道などが抑えられて逃げ道が狭まっていった。河内勢の離反などがあり解散を決意。河内勢は十津川郷で裏切りに遭い、紀州へ逃れるも紀州藩に自首。本隊は東吉野村で壊滅。だが忠光を逃がすための決死隊の働きで忠光は長州へ逃れることに成功。忠光に追いて行ったもの以外は死を迎えたか、捕縛されることになる。(一部故郷に帰ることが出来た者もいる)