歴史を感じる七条えんま堂。
七条えんま堂の特徴
七条えんま堂は真言宗東寺派の正法寺七条別院でございます。
歴史ある御堂で十王尊を祀っている場所です。
地蔵菩薩が導く有難い地獄曼陀羅のお堂です。
西大路七条交差点を東に行った南側にあるのが真言宗東寺派の正法寺 七条別院 である七条えんま堂になります。お堂の創建は不明ですが、かつては「北向山十王堂」と呼ばれていました。宝暦3年(1753)に記された『十王堂記』によると、寛永2年(1625)にはすでにこの地に前身となる十王堂が存在していたことが知られている。えんま堂のご本尊として木造不動明王立像が祀られています。また、ご本尊の左右には、鎌倉時代・南北朝時代・室町前期・室町中期・室町後期と、制作年代の異なる十王像計11軀が安置されています。お堂の入り口には、駒札が設置されており、お堂の由来がわかります。また、堂内には、パンフレットも置かれており親切です。御朱印は書置きがあり、代金を賽銭箱に入れる形でした。御朱印帳への記入はインターホンを押せば対応してくれるとのことですがご不在時は、正法寺まで連絡する様です。御朱印は、北向不動明王と閻魔大王の二種類になります。訪問時は、小雨が降っていたが、参拝直後より天候が回復して嘘のように晴れた。
駒札:七条えんま堂かつては北向山十王堂と称していたが、現在は西京区正法寺(真言宗東寺派)の七条別院となっている。堂内には本尊として木造不動明王像を祀り、その左右に小ぶりな木造十王坐像十一軀を安置している。十王像は、構造などの違いから、鎌倉時代から室町時代に作られた複数の十王像の残存像を後世に寄せ集めたと推測される。像高が最も大きい鎌倉時代の像(閻魔王、像高44センチ、一木造り、彫眼)を筆頭に、南北朝時代の像一軀(寄木造り、彫眼)、室町時代前期の像六軀(寄木造り、彫眼、玉眼)、室町時代前中期の像一軀(寄木造り、彫眼)、室町時代前期の像二軀(一木造り、彫眼)からなり、すべて中世に作られた十王像十一軀が伝存している点は貴重である。当堂に伝来した宝暦三年(1753)の「十王堂記」によると、寛永二年(1625)にはすでにこの地に前身となる十王堂が存在していたことが知られており、『京羽二重大全』「閻魔王像」の項に記される「十王堂 西七条村」が当堂を示す可能性がある。京都市Pieces:Shichijo EnmadoIt was once called Kitamukozan Juo-do, but it is now the Shichijo branch temple of Shobo-ji Temple in Nishikyo-ku (Toji sect of the Shingon sect). Inside the hall, a wooden statue of Fudo Myo-o is enshrined as the principal image, and to the left and right of it are enshrined smaller wooden statues of Ju-o (Jū-ō).Due to differences in structure, it is assumed that the statues of the Ten Kings were assembled in later generations from the remaining images of multiple statues of the Ten Kings created from the Kamakura period to the Muromachi period. Starting with the statue from the Kamakura period, which is the largest in height (Enma-o, 44 cm in height, made from one piece of wood, with carved eyes), there is one statue from the Nanbokucho period (yosegi-zukuri, carved eyes), and six statues from the early Muromachi period. (Yosegi-zukuri, carved eyes, jade eyes), one statue from the early middle Muromachi period (Yosegi-zukuri, carved eyes), and two statues from the early Muromachi period (Ichigi-zukuri, carved eyes), all made in the medieval period. It is valuable that 11 statues of the 10 kings have survived.According to the ``Juo-doki'' written in 1753, which was passed down to this hall, it is known that the predecessor, Juo-do, existed in this area as early as 1625. There is a possibility that ``Jūō-do Nishi-shichijo Village'' mentioned in the ``Statue of King Enma'' in ``Kyo Habutae Taizen'' refers to this temple.Kyoto City
北方向えんま堂さんは真言宗東寺派さまであられ十王尊を祀られた歴史在る御堂であられますやはり本像閻魔王ー十王尊・地獄界の裁判官・嬰児・誤智なき者が下界に落ちる事無きよぅに、地蔵菩薩が導き救いたまぅ也、有難い地獄曼陀羅のお堂さまでございね。南無阿弥陀仏。
真言宗系。大きくはないが、鎌倉・室町時代の十王像(詳しくは鬼灯の冷徹でも)や不動明王像などが並んでいる。住職様不在のお堂かとおもったが、住職さんがいらっしゃり、手書きの御朱印をいただけた。上に上がらせていただきお参りさせていただけたが、 住職さんとお話ができたが、すごく面白い方で また参拝したくなった。
かつては、北向山十王堂と称していたが、現在は西京区正法寺(真言宗東寺派)の七条別院となっている。堂内に本尊として木造不動明王立像を祀り、その左右に小ぶりな木造十王坐像11体を安置している。十王像は、構造などの違いから、鎌倉時代から室町時代に作られた複数の十王像の残存像を後世に寄せ集めたと推測される。像高が最も大きい鎌倉時代の像(閻魔王、像高44cm、一木造り、彫眼)を筆頭に、南北朝時代の像1体(寄せ木造り、彫眼)、室町前期の像6体(寄せ木造り、彫眼・玉眼)、室町中期の像1体(寄せ木造り、彫眼)、室町後期の像2体(一木造り、彫眼)からなり、すべて中世に作られた十王像11体が伝存している点は貴重である。当堂に伝来した宝暦3年(1753)の「十王堂記」によると寛永2年(1625)にはすでにこの地に前身となる十王堂が存在していたことが知られており、『京羽二重大全』 「閻魔王像」のページに記される「十王堂西七条村」が当堂を示す可能性がある。
| 名前 |
七条えんま堂 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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