上徳寺の阿茶の局の墓に訪れよう。
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| 名前 |
阿茶の局の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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上徳寺の本堂の裏手にある墓地に入ってすぐの所にあるのが「阿茶の局の墓」になります。【阿茶の局について】阿茶の局は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性で、徳川家康の側室のひとりになります。父は、甲斐武田家の家臣であった飯田直政になり甲斐の生まれになります。今川家の家臣である神尾孫兵衛忠重に嫁ぎました。忠重の死後、徳川家康の側室になりました。阿茶の局は、才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されていました。また、大坂冬の陣では、常高院や大蔵卿局と会見して和睦の使者としても活躍されました。元和6年(1620年)には、徳川和子入内の際に母親代わりの守役を務めた功により、後水尾天皇より従一位を授けられ、一位局・一位尼と称されるようになった。徳川三代の将軍にお仕えされ、幕府と朝廷の融和に手腕を発揮されました。寛永14年(1637年)1月22日に83歳で京都において死去されました。お墓の写真は2023年3月6日の特別公開時のものになります。2025年10月再訪。