松原不動寺で感じる霊験。
明王院不動寺の特徴
青蓮山明王院不動寺は真言宗東寺派の寺院です。
豊臣秀吉が聚楽第を造営した時に由来があります。
弘法大師作の不動明王の石像がご本尊です。
青蓮山明王院不動寺、宗派は真言宗東寺派、弘法大師作の不動明王の石像がご本尊のようです。古くは平安京造営にあたり桓武天皇が経巻を納めた磐座の一つされています。
ここは、大正年間に豊臣秀吉が聚楽第を造営した際に、ここから苔むした本尊をを得て、聚楽第に収めたところ、不思議な光を放ったとかなんとかで、霊験を感じ、ここに堂舎を建立したそうです。あまりメジャーな観光地ではないですが、由緒正しい寺院です。
松原通りの駐車場から常宿のホテルの間にあるお寺で初めて立ち寄ってみました。現在は小さな境内ですが、開基は持統天皇の頃の691年で俗称松原不動となっています。その後洪水やら応仁の乱で荒廃し、現在の姿になったのは勉強不足でよくわかっておりませんが、豊臣秀吉とも縁があるとのこと。この地の方々がだいじにされている様がよく感じられます。
| 名前 |
明王院不動寺 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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青蓮山と号し、真言宗東寺派の寺で、「松原不動」という。持統天皇5年(691年)に、道観大徳が開基した法相宗の寺であったが、のち弘法大師が自作の「石仏不動明王」を安置してから現宗に改まった。平安京造営の時に、桓武天皇は王城鎮護のため平安京の東西南北の4つの磐座(石蔵)に経巻を収めたが、明王院はその四岩倉の一つ。「南岩倉」と称した。天暦年間(947~957年)、賀茂川氾濫に遭い、堂舎はことごとく流没し、一時比叡山の苔苑法師によって再興されたこともあったが、応仁の乱で荒廃し、石像も塵芥の中に埋もれてしまった。天正年間(1573~1592年)、豊臣秀吉は聚楽第の造営に際し、ここから苔むした本尊不動明王を得て、聚楽第に収めたところ、夜な夜な不思議な光を放ったので、霊験を感じ、旧地に堂舎を建立し、これを再び奉安した。