竹林に鎮まる源義経の神社。
九郎明神社の特徴
小田急多摩線の五月台駅から竹林を抜けた奥まった場所にあります。
源義経を祀る歴史深い神社で、静寂な雰囲気が感じられます。
800年余り前の伝説とともに、訪れる人々の心を引きつける場所です。
今から約800年ほど前、源頼朝が挙兵した際、奥州から鎌倉に馳せ参じた源義経。その途中、この地に宿をとり、礼として渡した刀を祀ったのが「九郎明神社」の始まりだそうです。今でも人気のある源義経は、平安時代末期の武将です。源義朝の九男で判官の職だったことから「九郎判官」とも呼ばれ、その名にちなみ「九郎明神社」と名づけられました。https://www.odakyu-life.jp/より境内に掲げられている『由緒沿革』には、以下のように記されています。\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d平安末期 清和源氏義朝の三男頼朝が敷いた駿河の黄瀬川陣に異母弟の源義経が奥州から駆けつける途中当地古沢で一夜を過ごす 村人から歓待を受けた義経は 謝意を表わすため小刀(併せて鉄扇)を贈ったという(治承四年・一一八〇年)文治五年(一一八九年)に奥州衣川の館で自害したとされる源九郎義経を建長年間(一二四九〜一二五六)この社に祭祀天明年間(一七八一〜)再建天保年間(一八三一〜)当地が旗本領であったためか久能社と称せられたこともあった明治十九年 村内にあった稲荷社を合祀大正十一年 村内にあった天神社・熊野社を合祀 村人からは「明神様」として崇敬される昭和三十三年 社殿改築平成十年 社殿一部改築平成十九年 社務所創建御朱印は、管理社の栗木御嶽神社でいただけます。
オオカミ神社です!本堂の左にひっそりと2体います。しかし一つは頭が取れ、もう一つは胴体部分が稚拙な補修で塞がれています。でも雰囲気がありますね。九郎義経の神社で何故オオカミかと思ったら、拠点神社が栗木御嶽神社のようなんで、その影響でしょうか。(しかし肝腎の栗木御嶽神社にはオオカミのかけらも見かけませんでしたが…新しくなったからかな)他にオオカミ石像は、百草八幡宮(日野市)、瓜生御嶽神社(多摩市)、下柚木御嶽神社(八王子市)、に見られます。この辺りで他にご存知の方がいらしたらお教えください🐺
ここだけ不思議と違う空気感に緊張の様にそして 凛とした気持ちになる素敵所です。
お参り、散策。駐車場あり。御朱印は栗木御嶽神社でいただけます。
九郎といえば源義経、ゆかりの神社と言うことでよくウォーキング途中に寄ります。大きくはありませんが、周りを竹や広葉樹で囲まれた雰囲気のある神社です。麻生区には義経ゆかりの場所、鍋転がしの坂や二枚橋等が残っており、ここ古沢には義経の従者が住んでおり、義経が討伐された後、主君を偲んでこの地に祀ったそうです。ただ社の創建は18世紀初頭との事。
源義経ゆかりの神社であり、大河ドラマ放送の時期と相まって訪れ参拝してきました。地元の川崎市を通って兄頼朝の黄瀬川の陣を支援する途中に一夜を過ごした場所が、800年以上も経てもこうして大切に守り続けてられている地域の人々の、義経に対する崇敬の念が今も篤く伝わってきます。
源義経ゆかりの場所です。子供の夏休みの宿題で義経伝説を調べた時に訪問しましたので、2012年10月の画像です。
お山に抱かれている様な神社。神聖な場所な感で、お手入れも行き届いてます。
源義経を祀る神職不在の氏子神社。兼務する池田神職家が駐在する栗木御嶽神社で御朱印符を頂ける。
名前 |
九郎明神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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小田急多摩線五月台駅から昔ながらの細い道を これまた昔ながらの多摩丘陵に入って行くと たけやぶの中にございます 小さな神社さんですが けっこう人気あって いつも人とすれ違います。