歴史感じる古い石橋、金城ダム散策。
ヒジ川橋・取付道路の特徴
琉球石灰岩で作られた、那覇市内の古い石橋です。
金城ダム貯水池を分ける重要な役割を持つ橋です。
首里城から識名園へ向かう歴史的な道の途中に位置しています。
県指定文化財で、琉球石灰岩でできている石橋🪨金城ダム内をウォーキング🚶しながらこの場所を見るのも良さそう^ ^金城ダム貯水池の上池と下池を分けているこの橋の創設は、1800年頃と推定☝️首里城🏯から王家の別邸🏠(識名園)へ向かう道の途中にかけられた橋らしい🧐
ウォーキングで巡る那覇の河川・樋川・井戸・湧水その117 【那覇市繁多川4丁目】2021/02/23①場所(繁多川4-25 金城ダム遊歩道)●金城ダムのヒジ川橋から車道に出る手前の取付道路の左右に井戸跡がある。●この辺は識名魚崎原(シチナイユザキバル)であった。②井戸●繁多川公民館前の看板に掲示されている「繁多川旧跡・歴史的地名マップ はんたがわさんぽ」や「繁多川誌」に記載されている井戸跡。ヒジガーは「髭川」で髭から滴るように水が湧いてくる事から名付けられた。ヒジガービラの途中にあるヒジガーと混同している可能性があるが、ヒジガービラ沿いの湧水・井戸を総称していた、若しくは首里のヒジガー・識名(繁多川)のヒジガーと分けて考えられていたのかもしれない。●ヒジガービラのヒジガーは、崖の下にある水の滴る鍾乳石が髭の様に見える事から由来らしい。現在、ヒジガービラは危険なため通行止めされていてヒジガーを確認できなかった。③ヒジ川橋及び取付道路●首里崎山町にあった御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)から識名園に至る途中の金城川(現安里川上流)に架けられ、琉球石灰岩を用いた単拱橋(アーチが一つの橋)で、17世紀半ばまでにはつくられていたと考えられています。全長13.18m、幅5.2mで、橋の中央部が少し高くなり、三段の階段式になっています。欄干は、切石を利用した質素なつくりですが、見えない部分に、ほぞを作って巧みに組み合わせています。橋のアーチは円弧を用い、橋脚部は布積みで、その他はあいかた積みにしています。川床にも石を敷いて、橋脚部を川の侵食から防いでいます。取付道路は、緩やかな曲線を描きながら、勾配を調整して橋に取り付けられています。道幅は約26mで、橋の東側28m、西側18.5mが指定されています。取付道路は、路面を石灰岩の小石で敷きつめた、幅約2.6mの石畳道です。沖縄県指定有形文化財にしていされています。ダムの周囲はきれいに整備された公園になっており、その一角に保存されていました。参照:案内板ヒジ川橋及び取付道路④ヒジガービラ〔県指定文化財〕琉球王国時代、首里から南部へ向かう主要路は3本ありました。そのひとつがこの「ヒジガービラ」で、東苑(御茶屋御殿)から南苑(識名園)に至る環状線の一部でもありました。「ヒジガービラ」は16~17世紀に整備されたと考えられており、台地谷間の傾斜に巧みに勾配をつけ琉球石灰岩の石畳や土留(つちどめ)の石垣が築かれていました。さらに戦前までは道の両脇に松並木が続いており、周囲の景観とよく調和するように配慮された道でした。「ヒジガー」の由来は、坂の途中にある古井戸によるもので、岩の隙間から滴(したた)る水が鍾乳洞をつくり、アゴヒゲのように落ちる状態からそう名付けられたと伝えられています。参照:首里-Shuri-あるきヒジガービラ参照:繁多川旧跡・歴史的地名マップはんたがわさんぽ参照:繁多川誌。
昔のアーチ橋草木が生えていて雰囲気がある。
お散歩の途中に通りかかりました。石垣が多い地区なので、夜は近づかない方が良さそうな感じですが、昼間は遊歩道から外れなければノンビリ散策できます。
ヒジガービラが通行止ですがいい散歩道と思う。
ヒジガービラ(ヒジ川坂)を下り識名園に至る途中、金城川(カナグシクガー)に架けられている橋が「ヒジ川橋(及び取付道路)」です。琉球石灰岩を用いた単拱橋(たんきょうきょう:アーチがひとつの橋)で17世紀半ばに造られた石橋です。中国様式を取り入れた独特な駝背橋(だはいきょう)の形式は、円鑑池にかかる「天女橋」ともよく似ています。金城ダムには、この石橋を回避する形で二つの貯水池が造られました。取付道路は、緩やかな曲線を描きながら、勾配を調整して橋に取り付けられています。『首里あるきHPより』
| 名前 |
ヒジ川橋・取付道路 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://oki-park.jp/shurijo/shuri-aruki/siseki/2014/02/post-32.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
古い石橋です。この橋を含めたダム周辺は近所の人の散歩コースになってるようですが橋の周囲は草むらでいかにもヘビが出そうです。早々に退去しました。