静けさ包む武内宿禰の社。
治功神社の特徴
明治13年創建、牧野氏始祖の武内宿禰を御祭神として祀っています。
佐白山麓の山中、神明鳥居と社名標柱が道しるべとなっています。
笠間城跡への散策ルート沿い、山麓公園から徒歩圏内の歴史スポットです。
静けさと清涼感に包まれた山中の一角にあります。手水場や賽銭箱は設置されておりませんでした。東屋型の社の屋根を覆った苔が見事で、中秋に舞い散る木の葉と相まって、侘び寂びの風情を醸し出していました。
御祭神は武内宿禰。創建年代は不詳ですが,延享4(1747)年,井上氏の後に笠間城主となった牧野氏の遠祖にして氏神ですので,それ以降の創建となります。元は笠間市大和田の牧野邸(現・笠間中学校敷地)に鎮座していらっしゃいましたが,大正14年に現在地に遷宮,現在の社殿は老朽化により昭和42年に再建されたそうです。山麓公園の奥,旧笠間市立美術館のさらに先に鳥居,そして境内が広がっており,その奥に灯籠,屋根付きの土俵のような建築物・・・その時は神楽殿かなと思いました。その奥にブロック塀と鉄柵の門の玉垣に囲まれた社殿が鎮座していらっしゃいますが,なんとも独特の造りです。由来碑に,「拝殿は古典に倣い高雅と永久性とを考えて改築し・・・」とありましたので,神楽殿と思ったのは拝殿なのかも,いや,きっとそうですね。家族連れ向けの明るい山麓公園のすぐ近くのはずですが,俗界から隔絶されたような雰囲気の神聖な御神域であると思います。
佐白山麓の山麓公園山際に神明鳥居と社名標柱が建ち、その奥に治功神社の社殿が鎮座しており、本殿は方一間の掘立高床式で高欄があり、戸口一つの平入り形式です。屋根は銅板葺き切妻造で、千木と五本の堅魚木をのせ、左右に棟持柱のある典型的な神明造りの社です。拝殿は間口二間、奥行一間半の切妻式コンクリート造りで、内部は壁のない空間になっています。境内は山裾を削って平地にして約二反八畝歩あり、社殿の外に石灯籠一対、稲荷神社小祠、記念碑二基、歌碑一基が建てられています。御祭神は、笠間八万石の城主、牧野氏の始祖である武内宿禰と歴代の当主、及び明治元(1868)年の戊辰戦争から西南の役、日清・日露戦争、第一次世界大戦まで、笠間町出身の戦死者二七柱の霊も祀られています。創建は、明治十三(1880)年当時大和田にあった牧野邸(現在の笠間小学校校舎の地)裏手に建立され、翌年に旧藩士たちが同志会的な『笠間追遠社』を結成して神社の護持にあたりました。
笠間城ついでにお詣り。
山麓公園に入り、奥に進むとある。
笠間で神社といえば笠間稲荷神社が有名ですが、ここは神主さんが常駐しているような大きな神社ではありません、ちょうど佐白公園から笠間城跡までのルート上にあり、公園からこの神社までにも見るべき場所がいくつかあります。ぜひお詣りしてください。この神社の左手側の道を登ると笠間城跡方面です。
| 名前 |
治功神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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明治13年(1880)笠間城主の牧野氏始祖の武内宿禰や歴代当主を祀ったのが始まりで、笠間出身の戦死者の英霊27柱も祀られています。現在地には大正14年(1925)に移築されたそうで、境内には稲荷神社の他、忠魂碑や笠間満州懐古之碑等がひっそりと建てられていました。