如意輪観世音菩薩像と共に。
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| 名前 |
如意輪観世音菩薩像(月待塔)・馬頭観世音菩薩像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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一体の如意輪観世音菩薩像(月待塔)と二体の馬頭観世音菩薩像が建立されます。<現地解説板より抜粋>【如意輪観世音菩薩像(月待塔)のこと】当地にある如意輪観世音菩薩像は江戸時代(1603年~1868年)に三義民刑場跡地の脇から東へ通じる道路際に建立されたもので、その経緯や時期などの詳細は不明ですが、地域の人々の篤い信仰により建立されたものと推察されます。永年にわたり風雨にさらされたことで菩薩像を覆っている石積みが劣化により崩れかかっていました。2022年2月に国分区民に修繕費用相当額の寄付をお願いし、この程石積みの覆いの修繕を完了。従来建立されていた場所が個人の所有地であったので、この度国分共有地管理組合の賛同も得て、同組合の所有地であるこの地へ移転したものです。この如意輪観世音菩薩像は月待塔として建立されたと思われます。月待塔は月待ち講の仲間たちが協力し記念として建てた塔のことで、月待ち信仰ともいわれ、仏像のお姿のほかに文字が彫られた塔もあり月と仏さまを結び付けて信仰していたようです。月待ちとは、特定の月例の日(十三夜・十五夜など)に仲間が集まり、飲食をともにしながら「月」の出るのを待ち、念仏などを唱えて拝んでいた行事で、如意輪観音は、十九夜や二十一夜、二十二夜などの本尊とされ、安産祈願や病気平癒の女人の講であるケースが多くありました。【馬頭観世音菩薩像のこと】江戸時代から大正時代にかけて各地の農村では、馬や牛が大切な労働力であり、病気や事故で死んだ馬や牛の供養や街道の通行の安全を願って、馬頭観世音菩薩像が各地で盛んに建立されました。頭上に馬の頭が乗っており、観音さまとしては珍しく髪を逆立て眼をむき出した表情をしているのが特徴です。当地に建立されている二体の馬頭観世音菩薩像の建立経緯についての詳細は確認できておりませんが、石塔により明治13年と大正元年のものであることが確認されました。国分共有地管理組合の所有地内にある国分北集会所の西側に建立されていました馬頭観世音菩薩像は、立地条件が思わしくないため、2022年6月にこの地点に移転したものです。----------------------対面の三義民刑場跡とセットで巡拝しました。