迫力の龍彫り、旧福浦灯台への道!
金比羅神社の特徴
龍の彫り物が圧巻で、訪れる価値があります。
旧福浦灯台への入口にあり、アクセスが特異です。
港側からのアプローチができる、独特の立地です。
石川県羽咋郡志賀町福浦港にある神社です。2020年6月19日 日本遺産「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に志賀町が追加認定されました。金毘羅神社拝殿向拝の龍飾彫刻は構成文化財の一つです。御祭神 大物主命 崇徳天皇由緒創立年月不詳。讃岐国琴比羅神社より勧請する。
駐車場のようなスペースがありますが、「この場所は駐車場ではありません。長時間の駐車はご遠慮願ください。」と看板が立ってます。旧福浦灯台観光駐車場に停めましょう。
旧福浦灯台へ港側よりアプローチする場合の入口となる神社。旧福浦灯台へは、神社左の細い道を道なりに進むとたどり着きます。石川県神社庁によると、「創立年月不詳。讃岐国琴比羅神社より勧請し、無格社と称す。古来より福浦港漁民の信仰の中心である。」とあり、かたや近隣にある猿田彦神社は「貞観(じょうがん)3年2月3日創立。」(u003d西暦861年平安時代前期だそうだ。)と、しっかり記録されていることから、元々、この地域にあったのは猿田彦神社で、金毘羅信仰が日本中に広まるにともない、北前船で福浦港に出入りしていた海運業者や商人によって金比羅神社は創立されたのではないのかなー?(立地的にも、港を見下ろす高台だし、遠く海からも見えるしね。)なんて勝手な妄想しております...‼ウイキペディア引用:金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)、琴平神社(ことひらじんじゃ)、事比羅神社(ことひらじんじゃ)、金比羅神社(こんぴらじんじゃ)は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本宮とし、その主祭神である大物主神を祀る神社であり、日本全国に存在する。「神社」ではなく「宮」と称するものもある。江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られた。明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって神仏習合の金毘羅大権現は廃され、大物主神を主祭神とする神道の神社になった。現在、金刀比羅神社・琴平神社は日本全国に約600社ある。北前船:江戸時代から明治時代にかけて活躍した主に買積み廻船の名称。買積み廻船とは商品を預かって運送するのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。当初は近江商人が主導権を握ってたが、後に船主が主体となり貿易を行うようになった。上りは対馬海流を遡って、北陸以北の日本海沿岸諸港→関門海峡→瀬戸内海→大坂に向かう航路。(下りはこの逆)。西廻り航路の通称でも知られ、後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長。近畿地方への水運を利用した物流・人流ルートは、古代から瀬戸内海を経由以外に、日本海側の若狭湾以北の物流、若狭湾以西から対馬海流に乗って来る物流→若狭湾で陸揚げ→琵琶湖→淀川水系で大坂に至る内陸水運ルートも利用されていた。特に、朝鮮半島からは、海流の無い瀬戸内海を経由するより対馬海流に乗った方が早く畿内に到達できるため軍事的にも重要であった。しかし、明治維新による封建制の崩壊や電信・郵便の登場は相場の地域的な格差が無くなり、利鞘を稼ぐのは難しくなった。さらに日本全国に鉄道が敷設されることで国内の輸送は鉄道にシフト、歴史の表舞台から姿を消した。国重要文化財 旧森家住宅より引用。
細い道の奥の行き止まりにあります。大型車は入れません。 3台分の駐車場があります。
名前 |
金比羅神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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龍の彫り物が迫力あります。