源為朝ゆかりの五輪塔、歴史感じる旅を。
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| 名前 |
白縫姫の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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源為朝の伝説が残る当地に、源為朝の妻であったと伝わる白縫姫の五輪塔と祠が、佐久神社の側にあります。源為朝は、保元の乱に敗れ、伊豆大島に流される船をこの地で待ったと言われています。白縫姫は、木曾義仲の妾、和田義盛の妻となった巴御前にも引けを取らぬ烈女であったと言われています。源為朝が父の源為義に追放されて九州に赴いた際に見初めた女性が白縫姫という事になっています。白縫姫が記されたものは、滝沢馬琴(たきざわばきん)が書いた「椿説弓張月」など創作の世界で実在の人物であったかどうか定かではありません。白縫姫の父親は、肥後国阿蘇郡の領主・阿蘇三郎忠国と言われています。源為朝は、義父の地を拠点として僅か一年で九州全土を掌握しました。源為朝の動向を危惧した朝廷は、その父の源為義を責めて解官としてしまいました。責任を感じた源為朝は京に上り、その際に保元の乱が勃発し、源為朝は父為義と共に崇徳上皇方につき、敗れました。敗走中に捕縛されて伊豆大島に流罪となりました。白縫姫は、夫の後を追い伊豆大島に向かう途中で夫の為朝に手を貸した武藤太と出会い、武藤太に酒を飲ませもてなす最中に、武藤太の首を刎ねました。この話が、白縫姫が烈女と言われる所以です。