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運気が悪く南北相法を読んで、興味が湧き2025年8月たどり着きました。栄摂院の北側の区画にあります。同士の方のためにマップに登録しました。水野南北先生は、天保5年11月11日に七十八年の生涯を終え、門人らによって西天満(現大阪市北区)の法輪寺に葬られ、五尺有余の不動明王の石像と「南北先生墳」と刻まれた石柱が建立された。戒名は、「真鏡院一誉無双南北大居士」という当時としては最大級の院号・大居士号をつけられている。命日は天保5年11月11日であるが、これは現在のグレゴリオ暦に直すと1834年の12月11日になる。法輪寺は、昭和39年に大阪から兵庫の武庫之荘に移転し、その際、南北先生墳は京都の金戒光明寺に移された(恐らく墓地の移転は、移転先の反対を考え、総本山である金戒光明寺に移されたものと思われる)。