娵ヶ池の記念碑を訪れよう!
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
娵ヶ池記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
娵ヶ池(しゅうがいけ:通称長崎堤)の案内板と記念碑かつてはここに大きな池があったようで、その記念碑です。でももう百年も前の事で、今では周囲に池の面影は全くなく、記念碑が歴史を語るだけです。石碑は全部漢文で読めません(T_T)。案内板の方の字も消えかけて読みにくいので下記に書き起こします。**********************娵ヶ池(しゅうがいけ:通称長崎堤)その起源は明らかではないが、有度山からの地下水がこの低地にあつまり自然の溜池となって、長く水田に利用されて来たと思われる。7ヘクタールに近いこの池は度重なる水争いの歴史をもつ中でも元禄七年(1694年)の水利権争いは苛烈をきわめた。長崎村組頭、神戸瀬兵衛はその立役者として資料作成にに貢献、幕府に提訴し、水利権は長崎、長崎新田、七ツ新屋の三村に有ることを確認させた。これにより同三村は三百年も後の今も尚、同氏の偉功を讃え、毎年八月四日顕彰供養を催してきている。娵ヶ池は昭和の初め有度耕地整理に伴う巴川灌漑用水利用によりその使命を了えたので干拓され、民有地となって現在に至っている。この碑の在るところは元の池の東端にあたる。昭和五十九年二月 有度まちづくり推進委員会有度公民館歴史クラブ***********************この池と石碑は、ウィキペディアの「四方沢川」の項にも記載があります。【四方沢川 よもさわがわ】血流川との合流点付近には治水碑と案内板が建てられており、明治時代まではここを東端として7ヘクタールにも及ぶ娵ヶ池(しゅうがいけ:通称長崎堤)があり、長崎・長崎新田・七ツ新屋の三村の田畑を潤した歴史が記されている。