歴史を感じる三ヶ首の碑を訪れて
三ヶ首、鐘堀、太刀城跡の碑(二塚城跡)の特徴
三ヶ首の碑は歴史的背景が深い場所です。
恒性皇子の側近が関わる史跡が魅力です。
殺害された3人の名前が刻まれています。
分かりにくい❗
恒性皇子が幽閉された舘城(太刀)が建っていたとされる地域。皇子の従者の慰霊碑を祀ってあります。中世では悪党とは社会秩序を乱したり、権力や権威を振るい暴挙する集団に対して抵抗する武士集団の事だそうです。
「三ヶ首」の碑は、恒性皇子の側近、勧修寺家重、近衛宗康、日野直通の3人が殺害され、その首をさらした場所という。浄誓寺の入り口に「恒性皇子扈従三朝臣慰霊碑」が建っている。「太刀(館)城」は二塚城ともいい、恒性皇子御墓や浄誓寺まで城内だったらしい。越中守護・名越遠江守時有が2個の梵鐘を作らせ、1つは城の時鐘とし、もう1つは寺に寄進したが、2つとも所在不明なっていた。後世、二塚城の濠を利用して用水を作った時、1つの梵鐘が見つかり、、見つかった場所は「鐘堀」と呼ばれるようになったという。見つかった鐘は現在浄誓寺境内の釣鐘となっている。
名前 |
三ヶ首、鐘堀、太刀城跡の碑(二塚城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
1.8 |
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田んぼの中にコンクリートで整地された一角があります。立派な石碑と社が建っています。説明案内板がほしかったです。