平清盛ゆかりの仏御前の地。
仏御前屋敷跡の特徴
平清盛の側室・仏御前の歴史を感じる屋敷跡です。
1160年に生まれた白河千歳の物語が息づいています。
平家物語の舞台に足を運ぶ貴重な体験ができます。
道すがら看板を見附けて立ち寄りましたが、えっ、あの白拍子のことなの? と一寸吃驚しました。今は祠が立つのみの、屋敷跡です。思ひ掛けない所に「歷史」がひっそり佇んでゐるものですね。
仏御前は1160年(永暦元)年に現在の原町のあたりで生まれました。美人で歌舞に長じており、1172(承安2)年、14歳で京に上って白拍子(しらびょうし)となりました。その美貌(びぼう)と優れた演技で、時の権力者・平清盛の寵愛(ちょうあい)を受けましたが、やがて世の無常を悟り、出家し仏道に精進しました。1176(安元2)年、故郷である原に帰って小庵にこもり、余生を送りました。現在は仏御前をしのぶ3基の墓石が建っています。小松市指定文化財です。庵があったと云われるのは、国道360号線沿いの原町の小松側入り口になります。庵跡として墓所を造ったと云われています。左は供養碑、中央が供養祠(石堂)、右が墓石とされています。
平清盛の側室仏御前の屋敷跡です。お墓もあります。駐車場は無いので、路駐してささっと見る感じですね。
平家物語の登場人物である仏御前ゆかりの地です。非常に静かな場所なので、しばし足を留めて昔の雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか。
名前 |
仏御前屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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仏御前とは本名は白河千歳といい、14歳で上京、平清盛に白拍子つまり踊り子として仕えました。白くて美しい容姿に唄も踊りもできたことから清盛から寵愛を受け、当時芸妓のトップだった妓王(ぎおう)が清盛からクビを宣告される程だったといいます。17歳になる頃には出家しましたが、20歳でその短い生涯に幕を下ろしました。白い衣装に唄を詠み、静かに舞う姿に思いを馳せられる貴重な場所だと思います。墓跡のある「原」という町名にも意味がありますので、少し離れた白山神社前の公民館に車を停めて、歴史散策されることをオススメします。景色と共に楽しめます。