源頼朝ゆかりの神社、厳かな雰囲気で歴史を感じる。
洲崎大神の特徴
源頼朝が1191年に創建した歴史ある神社です。
鬱蒼とした木立に囲まれ、凛とした空気が漂っています。
毎年6月には例大祭が行われ、地域の人々に親しまれています。
例大祭の開催日は毎年6月6日以降の金・土・日曜日です。宮前商店街というアーケードの中でお祭りが開催されます。
神奈川県横浜市神奈川区青木町、京浜急行電鉄/神奈川駅出口からすぐにある宮前商店街通り(旧東海道)へ徒歩2分位にある「州崎大神」さんへ参拝しました。11時過ぎに参拝で人は、いませんでしたのでゆっくり参拝する事ができました。「州崎大神」建久2年6月26日に源頼朝公が安房国幣大社安房神社の御分霊を歓請し幕府直轄の神社として創建した。明治16年8月24日郷社に列せられ同40年4月30日神饌幣帛料供進神社に指定されました。関東大震災や戦災などで焼失する事がありましたがその都度再建され今にいたっています。「御祭神」天太玉命 天比理刀売命「相殿」素盞男命 大山昨命「境内社」稲荷社住宅街の中にありながら木々に囲まれてひっそりたたずんでいて心落ち着く場所です。社務所のような管理されている建物は、ないようです。ありがとうございました。
一歩境内へ踏み入れると凛とした空気に変わり厳かな気持ちになる鬱蒼と生い茂る木立の中に階段が現れその上に神社が見えるちょいと大袈裟に記したが自然多く雰囲気のある神社である事は間違いないここには神様いると思う( ꈍᴗꈍ)テヘ追記( ・ิω・ิ)霊感ないけどな。
旧東海道にある源頼朝ゆかりの神社。歴史を感じます。
幸ヶ谷公園(権現山城跡)のある丘陵の南東部に位置する。源頼朝が安房国一之宮である安房神社の神を勧請したと伝える。境内は鬱蒼とした木々に囲まれ、昼なお暗い。江戸時代は鳥居前の旧東海道を東に行くとすぐに船着場があったという。この道は今は「宮前商店街」と呼ばれているが、商店は数えるほどしかなく、マンションが立ち並んでいる。かつては確かに商店街だったらしいが、後継者不足と相続税対策のために多くの店舗がマンション用地として売却されたらしい。「宮前」の名も洲崎神社に由来するのだろう。すぐ西にある普門寺が当社の別当寺(神仏習合の時代に神社を管理、運営した寺)だった(写真7枚目)。
源頼朝が安房国一宮安房神社より分霊を勧請し1191年に創建された。最寄り駅は京急神奈川駅。当時はこの神社の前は海岸だったとか。
源頼朝が安房国の安房神社から建久二年(1191年)に移して祀った神社だそうです。山道を下りて第一京浜にぶつかったところが江戸時代の船着場だったとのことです。だいぶ海近かったんですね♪
看板を読むと、源頼朝が千葉の安房国一宮•安房神社から勧請したとの事。しかし名前を見るに、勧請元は安房神社ではなく、同じく館山市の洲崎神社では?という気がするのだが、どうなのか。境内の構成としても、山を背に海を向いている点で洲崎神社と洲崎大神は同じ(横浜は埋め立てられているが、創建当時は目の前が海だったはず)。因みに東京十社の品川神社も頼朝由来であり、洲崎神社からの勧請したもの。千葉にある安房神社と洲崎神社は、ともに安房一宮を名乗っていて、祭神も夫婦同士だったりします。------------------------------境内は落ちたイチョウで金色一色。なかなか良い景色です。個人的には人が多いところより、こういう静かな神社の方が好みですね2022/03/04追記大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれたように、石橋山合戦で敗北した源頼朝が安房に渡った際、上陸したのが洲崎なんですね。吾妻鏡によると、その際に洲崎神社にも参拝したとの事。じゃあやっぱりこの神社は洲崎神社からの勧請なのでは・・・という気持ちは強くなってきています。
州崎神社。横浜神奈川宿場歴史の道。木場にある州崎神社と関連が有るのだろうか?同じ州崎神社を名乗っているのだから、関連は有りそうです。いつか調べてみたいです。誰かわかる人いらっしゃいましたら教えて下さい。宜しく御願い致します。格式有りそうな神社です。お祭りとかあるのかなぁ?横浜青木通、神奈川宮前商店街に来たらお寄り下さい。
名前 |
洲崎大神 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-441-5081 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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神社は立派でしょうが、以前初詣に行った際古札を納めようと持っていったところ「年内でお焚き上げは終わっている」と、とても感じ悪く言われました。年始から気持ちよくお参りできないのでそれ以来別の神社に変えました。