ハグリの正統、下羽栗小学校!
笠松町立下羽栗小学校の特徴
下羽栗小学校の地名を巡る話題が多く、地域の歴史を感じます。
笠松町の地域密着型教育が魅力的な学校です。
双方の小学校の名前に対する興味が尽きない場所です。
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名前 |
笠松町立下羽栗小学校 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
058-387-3123 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
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下羽栗小学校と葉栗小学校”ハグリ”という地名の正統はどっち?古代この地は、栗の木が多数自生していた状態から”ハグリ”という名前は由来します。藤原京からは「尾治国羽栗評 ・人椋椅部刀良」と書かれた木簡が出土しており、この【羽栗評】が後の葉栗郡とさます。つまり、先に”羽栗”という漢字の方が、当てられていということです。701年の大宝律令の制定により評は郡に改られ、【葉栗郡】となりました、7世紀後半にいたと考えられる葉栗郡の役人で葉栗臣人麿(はぐりのおみひとまろ )という方がいました。官位二十六階の「小乙中」という官位を持ち光明寺を創建したとも伝える人物です。善政を行い、人望も厚く、没後は、人麿塚が創建され祀られるほどでした。安土桃山時代までに、【葉栗郡】域は現在の羽島市竹鼻の方まで広がって行きました。しかし....天正14年旧暦6月24日(1586年8月9日)大洪水が発生します。美濃国と尾張の境界は、現在の境川の位置に、木曽川の本流がありました。現在の木曽川の位置には、「尾起(おこし)川」があり、幅80メートルほどの川幅のであったとされています。天正の大洪水のときには、一晩で川幅が700メートル以上となり10倍以上の大河となります。堤防が切れた所は108ヵ所以上有ったと言われます。洪水後、現在の位置に木曽川が流れ、葉栗郡は、分断された状態となりました。この為、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境としました。そして、美濃国側を羽栗郡へ改称となりました。豊臣秀吉といえば、一時、羽柴秀吉を名乗っていましたので、”羽”という字を授かった形となります。そのため、この地域は、今でも『羽栗』と呼ばれます。下羽栗小学校という名前を誇りに、健やかに育っていってください。