仁科神社で風光明媚な木崎湖へ。
仁科神社の特徴
仁科神社は仁科盛遠を祭神とする歴史ある神社です。
森城跡地に位置し、木崎湖が近くにあります。
塩の道祭りでは特別な御朱印が300円で貰えます。
信濃の豪族仁科氏の城。木崎湖に突き出た半島に築かれた天然の堅城。現在は城域に神社が建つ。
地元の方が綺麗にしてる由緒ある場所。写真は7月23日。
仁科神社にしなじんじゃ長野県大町市平9675祭神仁科盛遠仁科氏の居城である「森城」の跡地に建てられたという風光明媚な「木崎湖」がすぐ近くにあります2021/8/31 参詣。
祭神は仁科盛遠。大正時代に森城の主郭(本丸)に勧請されたのが始まりで、城主だった仁科盛遠や明治以降の戦没者が祀られています。拝殿は木造平屋建て、切妻、鉄板亀甲葺き、平入、桁行7間、外壁は真壁造り素木横板張り。本殿は一間社神明造、外壁は真壁造り素木横板張り。境内には仁科盛遠の顕彰碑や「もとどり塚」、古碑などがあります。仁科盛遠は鎌倉時代初期に後鳥羽上皇に従い、承久3(1221)年に発生した承久の乱の際には朝廷方として鎌倉幕府と敵対し、幕府方の北条朝時と越中国礪波山での戦いで敗れ討死。そのさい、森城(仁科城)の一角に盛遠の髻(もとどり)――髪を頭の上に集めて束ねた部分――を埋めて御霊を弔ったのが「もとどり塚」の由来だとか。
森城址(仁科神社)平安時代の後期現在の大町周辺には2つの荘園があり、この荘園を支配していたのが仁科氏でした。仁科氏は、古くは高瀬川段丘上の社館之内に居館を構えていましたが、室町時代の初め頃には、現在の大町市街へ移住しました。二重の塀に囲まれた屋敷の跡は今も残り、天正寺になっています。一方で、戦乱などに備えて木崎湖畔に突き出た半島状の地形を利用し、三方を湖と沼地で囲まれた「水城」を築きました。これが森城です。城の大部分は現在では集落になっていますが、本丸跡には仁科氏や明治以降の戦没者を祭る仁科神社が営まれています。境内には承久の変で鎌倉幕府軍と戦った仁科盛遠の顕彰碑や古い塚などが残っています。
木崎湖畔に建っている神社。初めての参拝でした。GWの初日とも言える日だったのですが、コロナのせいもあるのか、人影もほとんど無くひっそりとしていました😱
境内の右に向かうと,木崎湖の岸に出ることが出来ます.
仁科氏の居城跡に鎮座するお社。
普段はどうかは分かりませんが、塩の道祭りの時は御朱印(300円)が貰えます。
名前 |
仁科神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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木崎湖畔を走ったいたらあったので立ち寄りました。木崎湖が見えるのがいいです。