平安の面影、仁科神社と木崎湖。
仁科神社の特徴
仁科神社は仁科盛遠を祭神として祀っている。
美しい木崎湖の近くに位置している神社です。
由緒ある仁科氏の城跡が残る神社で歴史が感じられます。
御神縁で参拝させていただきました。とても静かで広々して落ち着きます。秋祭りが終わった時間帯でゆっくり参拝出来ました。
信濃の国の歌詞にも出てくる仁科氏の城だそうです。どんな場所なのか気になって訪れてみましたがこれといって見るものはありませんでした。ただ、おもしろい場所に城があったんだと思いました。駐車場は鳥井の下にある白い柱の先に広くなっている場所があるので、そこへ駐車しました。
ご神縁巡り、中南信最後に巡りました。ご朱印展も楽しめました。
例祭の忙しい中、丁寧に御朱印対応していただけました。
祭神は仁科盛遠。大正時代に森城の主郭(本丸)に勧請されたのが始まりで、城主だった仁科盛遠や明治以降の戦没者が祀られています。拝殿は木造平屋建て、切妻、鉄板亀甲葺き、平入、桁行7間、外壁は真壁造り素木横板張り。本殿は一間社神明造、外壁は真壁造り素木横板張り。境内には仁科盛遠の顕彰碑や「もとどり塚」、古碑などがあります。仁科盛遠は鎌倉時代初期に後鳥羽上皇に従い、承久3(1221)年に発生した承久の乱の際には朝廷方として鎌倉幕府と敵対し、幕府方の北条朝時と越中国礪波山での戦いで敗れ討死。そのさい、森城(仁科城)の一角に盛遠の髻(もとどり)――髪を頭の上に集めて束ねた部分――を埋めて御霊を弔ったのが「もとどり塚」の由来だとか。
仁科神社にしなじんじゃ長野県大町市平9675祭神仁科盛遠仁科氏の居城である「森城」の跡地に建てられたという風光明媚な「木崎湖」がすぐ近くにあります2021/8/31 参詣。
日陰の多い湖畔が見える神社。
森城址(仁科神社)平安時代の後期現在の大町周辺には2つの荘園があり、この荘園を支配していたのが仁科氏でした。仁科氏は、古くは高瀬川段丘上の社館之内に居館を構えていましたが、室町時代の初め頃には、現在の大町市街へ移住しました。二重の塀に囲まれた屋敷の跡は今も残り、天正寺になっています。一方で、戦乱などに備えて木崎湖畔に突き出た半島状の地形を利用し、三方を湖と沼地で囲まれた「水城」を築きました。これが森城です。城の大部分は現在では集落になっていますが、本丸跡には仁科氏や明治以降の戦没者を祭る仁科神社が営まれています。境内には承久の変で鎌倉幕府軍と戦った仁科盛遠の顕彰碑や古い塚などが残っています。
地元の方が綺麗にしてる由緒ある場所。写真は7月23日。
名前 |
仁科神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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平安時代に仁科氏が築いた森城址です。仁科神社は明治以降の戦没者を祭っているそうです。手水舎の像が「見ざる聞かざる言わざる」の猿になっているのが面白いです。