松本の重要文化財、筑摩神社の歴史。
筑摩神社の特徴
筑摩神社は松本城から徒歩30分、檜皮葺きの美しい拝殿を有しています。
重文指定の本殿は小笠原氏の祖神として歴史的にも重要な神社です。
昔からこの地で崇敬されてきた八幡神を祀る、魅力的なパワースポットです。
長野県松本市筑摩の筑摩(つかま)神社。所在地は、1945年から1889年までは東筑摩(ちくま)郡筑摩(つかま)村。その後松本町→1907年松本市となる。信濃国司時代の総社で、かつては、「筑摩八幡宮」や「国府八幡宮」とも呼ばれていた。明治5年8月には県社に列し、社名も現在の筑摩神社と改称された。創建時期は、延暦13年(794年)とされ、京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請したとされる。本殿は国の重文に、拝殿は県宝。境内には、かつて筑摩神社の別当寺であった安養寺の鐘楼、神門、鳥居などが残る。境内隣には、坂上田村麻呂が率いる大和朝廷軍と戦った「魏石八面大王」の首が埋められたとされる飯塚(首塚)が在る。
松本城から歩いて30分程、檜皮葺き屋根の拝殿、本殿が綺麗です。
重文の本殿は見事!境内の雰囲気も良い。
この辺りの地は、古来筑摩郡と呼ばれていました筑摩神社は古くからこの地に鎮座して、誉田別命・神功皇后・比売神の八幡三神を祀っています、八幡神は武運長久の神として、特に武将から崇敬されました、筑摩神社は鎌倉より戦国まで、この地で勢力を張った小笠原氏の祖神とされ、厚い信任を受けました、現在の三間社流造の本殿は、15c半ばに小笠原政康により造営されたもので、国の重要文化財に指定されています蝉しぐれの中、木立に囲まれ古色を帯びた社殿は、訪れる人も少なく、七百年もの間、この地に立ち続けています。
松本市筑摩にある鎮座する筑摩神社です。創建は延暦13年(794)、石清水八幡宮より勧請されました。筑摩神社の本殿は永享8年(1436)に焼失した後、同11年(1439)に小笠原政康により再建されました。室町時代の建築様式をそのまま残し、また松本地方最古の建造物であり国の重要文化財に指定されています。
国の重要文化財にしてされている歴史ある神社です。夏のお祭りでは大きな花火大会が開催され、お正月には交通祈願も行われます。
『白線流し』ロケ地、筑摩神社!合格通知を見た時の『やった、やったぁ』『やったじゃん、優介!』は印象深い!他にも松本城、松商学園、柳澤工機、新村駅、川久保踏切、城山公園付近の民家、中山台、松原中央公園、尾上の湯、あがたの森公園、深志神社!私にとっての松本市は『白線流し』です!26年経った今も変わりません!
こんな感じのとこを捜してた!
筑摩神社つかまじんじゃ長野県松本市筑摩2-6-1祭神息長帯比売命誉田別命多紀利比売命狭依比売命多岐津比売命八幡神と宗像三女神が祭神となっていますなお小次郎伝説もあります蹴裂伝承で小次郎が湖沼の岩を蹴裂き水を流し耕作可能地にしたとの伝承です日本各地にあり九州阿蘇盆地も巨大な湖沼であったが偉人が水を排出したとの事です筑摩神社と称されたのは明治時代になってからでそれまでは八幡宮と言っていたとのことです2021/9/15 参詣。
名前 |
筑摩神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0263-25-1835 |
住所 |
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HP |
https://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/02cyusin/03syouenchiku/8076.html |
評価 |
3.9 |
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隣県からの訪問なので存在を知らなかったが、対岸から見えたので立ち寄る。前日が花火大会だったようで露店が並び相当な賑わいだった。なにより創建のいきさつが桓武天皇やら坂上田村麻呂の名が出てくるし、本殿は室町時代建立の国の重要文化財というとんでもない由緒正しいところだったのね・・・。松本自体二桁の来訪ながら全く知らずお恥ずかしい限り。京都岩清水 八幡宮からの御分神。信心深くない私だが勝負がかりでは必勝祈願に八幡さんへ行くのでここでも。これからは松本=四柱とかだけでなく、まずはこちらにこそ寄らせて頂きますね♪と。