諏訪大社で御柱祭の魅力を発見!
おんばしら館 よいさの特徴
諏訪大社の御柱祭を深く理解できる特別な資料館です。
里引きの華やかさや歴史を展示物で興味深く学べます。
木落し体験や詳細なガイドが魅力の訪れる価値のある観光地です。
Ꮲは春宮駐車場。お盆。参拝者が多く、Ꮲの空きが出るまで並んで待機。 誘導系がいるのでそこは安心。やっと止めて、少し歩きます。マンホールカードをもらって、外の庭に出ると、御柱が!キレイで清潔感のある施設です。
2024.8.23☀マンホールカード集めの旅ですが、第23弾マンホールカード配布を2024.7.26より、開始されておりますけど、ゲットしました。下諏訪駅前のレンタルサイクルを使用して1時間で電動自転車100円安くて良かった。暑い時、歩くより自転車の方が良いと思います。近く観光名所にある諏訪大社を参拝し、見学出来ます。
諏訪大社下社春宮の近くにある資料館。諏訪大社の御柱祭のことがよくわかり、実際に木落としの体験もできる。展示も見ごたえがあってとても良かった。
御柱祭についてよく知ることができる施設。御柱祭は4つの諏訪大社のお祭りだが、大きく分けると上社と下社に別れるらしく、この施設は主に下社について説明してくれる。施設の方の解りやすい説明と実体験の話がおもしろい!木落としばかりに目が行っていて、柱を立てるときにも人が上に乗ることは全然知らなかった😲別料金のバーチャル木落し体験は、ほぼ揺れないので子どもでも体験できそう。
春宮の駐車場から徒歩3分、七年に一度執り行われる[御柱祭]の魅力を映像や展示物を通して感じられる[よいさ]。駐車場は身障者用だけあります。この よいさ に来る前に木落坂を是非見学してから来た方が良いです。入場料は300円と安く、御柱に乗り木落体験装置で御柱最大の難所[木落し]を模擬体験出来ます。(有料200円)木落し坂は斜度35度、長さ100mなので頂上から御柱が下る体験はとても良く感激しました。係の人が丁寧に案内や説明してくれるし御柱を建てる時の様子なども見れます。一度は見学をお勧めします。
諏訪大社下社春宮の近くです。春宮から浮島、石仏を散策した後、橋を渡った川沿いに10mも行けば看板がみえます。奥には御柱がありましたが、館の方に話を聞くと、御柱の選別中に問題があり御柱になれなかった「木」だそうです。館の入場は300円、御柱の木落し体験200円とチョット高いなかと思いましたが、7年に1度とは御柱のお祭りにはお金もかかるので仕方がないと思いました。氏子の方々には起源がわからない程古いお祭りを是非守って頂きたい思います。館の中には歴代2位の太さの御柱の根元部分を切ったものが展示せれていて、上に乗せて貰えます。また、館の方が簡単な説明をしながら廻ってくれます。また、木に股がって、御柱の木落としを映像と共に体験できる施設もあります。(これが200円です。)
現在は10時開館〜16時閉館(入場15時半まで)なのでご注意ください!時間がなくてゆっくり見れなかったのですが、大きな画面で見る映像や木落し体験(別料金)など楽しく見学できました!先に春宮参拝してから施設見学したのですが、館内の映像で「下社春宮の坂が難所」と説明があったので、もう1度その坂を見に春宮へ行きました。
御柱祭の全体的な流れや、長持ち(行列)の展示がある他、別途200円払えば気落とし体験マシンに乗れます。外の広場には疑似御柱があり、跨ったその大きさを体感できます。案内係の方が丁寧に付き添って解説してくださります。自分のようなゆっくりマイペースで見たい者にはやや忙しなかったです。
綺麗な施設。解説を丁寧にしていただけます。木落とし体験がお勧めなようでした。御柱建ての原理を説明した模型は、後継者育成のために作ったと説明されていました。現物の車地(シャチ)も展示されていました。
| 名前 |
おんばしら館 よいさ |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0266-26-0413 |
| 営業時間 |
[月水木金土日] 9:00~17:00 [火] 定休日 |
| HP |
http://www.town.shimosuwa.lg.jp/www/contents/1475302926742/index.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
諏訪大社の御柱祭の資料館です。映像や模型、祭りの道具や衣装など様々な展示品で御柱祭を紹介しています。エントランスには御柱の一部が展示されています。私は乗っただけで写真は撮りませんでしたが、これには実際に乗って写真を撮ることもできます。乗ってみたい人はぜひお試し下さい。スタッフの方が写真を撮ってくれます。また館内には御柱祭のマンホール蓋の他にも鉄腕アトムのマンホール蓋も展示されています。これは作者の手塚治虫先生が諏訪大社下社の大祝(おおほうり)だった金刺盛澄の弟・手塚太郎(金刺光盛)の子孫だといわれている縁で実現したそうです。