赤報隊幹部を祀る静謐な聖地。
魁塚(相楽塚)の特徴
明治3年に設立された、赤報隊の霊を供養する塚です。
幕末の悲話を感じる、相楽総三を祀る歴史的な場所です。
綺麗に整備された、赤報隊の幹部が眠る神聖なエリアです。
相楽総三ら赤報隊の幹部の霊を供養する塚です。赤報隊は戊辰戦争時に明治新政府軍の先鋒隊として中仙道を進軍。当時は新政府軍(官軍)と旧幕府軍のどちらが勝つか不透明な情勢で、日和見的な藩や村が多い中、西郷隆盛の指示で年貢半減令を布告した赤報隊は、多くの人々を味方につけ、快進撃で甲州街道の入口である下諏訪までたどり着きます。しかし、「年貢半減令など許可していない」と新政府に言われ、赤報隊は偽官軍として解散、相楽らは罪人として処刑されてしまいます。西郷は最初から相楽をスケープゴートにする気だったのでしょう。西郷のもとで諜報活動を行うなど新政府に尽くしてきたにも関わらず、西郷に裏切られ、罪人の汚名を着せられて処刑された相楽の無念はいかばかりか。『るろうに剣心』でも描かれたシーン(佐之助は赤報隊で総三の配下)の舞台でもあります。地元の方々が清掃や花の入れ替えなど丁寧に管理してくださっています。JR下諏訪駅から徒歩3、4分。諏訪下社秋宮から徒歩18分程。駅の待ち時間や参拝のついでに、ぜひ訪れてみてください。
真田戦記相楽塚(魁塚)長野県諏訪郡下諏訪町木の下5360この魁塚は相楽総三を始め8人の赤報隊幹部が冤罪により、慶応4年(1868)3月3日斬首の刑に処せられた地に、かつての同志であった人達や有志により明治3年 (1870)建立された塚です。官軍先鋒(維新の魁としてのり込んできた人達が、一転してにせ官軍とされて刑に処せられたことは、地元の人々の大変な驚きでした。隊長の相楽は、高島藩士で勤王の先駆として活躍していた石城東山と同志であり、相楽が再三諏訪を訪れ、同志を糾合していました。そのため、相楽の名は早くから諏訪人に知られていて、惜しまれていました。相楽の孫木村亀太郎は祖父相楽の冤罪を晴らすことに生涯をかけ運動し、ついに昭和3年(1928)に正五位相楽総三・従五位渋谷総司の贈位があって、晴れて志士として認められました。
幕末の悲話。新政府軍に利用され、裏切られた赤報隊を慰霊する為に建立された塚。
赤報隊を祀る塚。大きな政変だけに、不幸な死を遂げた人も多かったことでしょう。
倒幕に戦った漢達が眠る場所。激動の時代に生きた漢達が今の時代を見たらどう思うだろうか。倒幕の為に相楽を中心に結成された新政府側の組織である赤報隊であったが、最後は新政府から汚名を着せられ処刑されてしまう悲しき物語りの終焉の地。幕府は倒され新政府も倒れ、敗戦から世の中はすっかり平和ボケの時代となり、今はコロナに踊らされた窮屈な世になってしまった。また、刀で人を斬る時代から核ミサイルで人を脅す時代となり、ネットで人を攻撃する時代にもなってしまっている。しかしこの漢達が立ち上がらなかったならば、徳川幕府の時代が未だに続き、鎖国されたままの北朝鮮のような国のままだったのかもしれない。犠牲があっての平和であるのだが、彼等の行動こそ今ある世の礎であり魁であり、こうして平和に暮らせることに感謝しかない。
ちゃんと管理された素敵な場所でした。
歴史の重みを感じる。るろに剣心の見すぎか?
綺麗に整備されています。
漫画だけでここに来てください。これは地元の人々が彼らのヒーローを暗記するための場所です。外国人に来るように勧めない(原文)Come here just because of the comics. This is s place for the local people to memorize their hero. Not suggest a foreigner to come
名前 |
魁塚(相楽塚) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0266-27-1627 |
住所 |
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HP |
http://www.town.shimosuwa.lg.jp/www/contents/1001000000733/index.html |
評価 |
3.9 |
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明治3年、赤報隊の名誉回復に伴い設立された場所です。赤報隊は勤皇・倒幕を志す郷士の集団。そのリーダーが相楽総三。新政府の支持のもと、年貢半減を掲げ東へ進軍したところ、正式な官軍ではなかったことから、一旦京都へ戻るよう命ぜられました。しかし、赤報隊はこれに従わなかったため、ここ下諏訪の地で「偽官軍」として拘束され、相楽をはじめ幹部8名が斬首されました。相楽の死後、同志らによって冤罪による処刑であることが判明し、名誉回復のため、昭和3年には相楽に正五位がここに設立されたそうです。歴史に名を残す方々ですね。