吉良家ファン必見、法華寺へ。
法華禪寺の特徴
諏訪大社のすぐ隣に位置する法華禪寺、静かな参拝が魅力です。
吉良家ファン必見、吉良上野介のお孫さんのお墓もあります。
歴史的な背景を持つ再建本堂、壮大な過去を想像させます。
諏訪上社本宮のすぐ隣ながら、人の気配がなく、静かに参拝できました。信長の甲斐攻略の本陣があったというまさに歴史の舞台かつ吉良義周の墓もある。彼に手向けられた三州吉良町の慰撫の言葉も心に残りました。
諏訪大社の上社の参拝に先立って、Googleで付近を調べて見た所、こちらの臨済宗の法華寺、いろいろと興味深い謂れがあるようで、ぜひ参拝してみることにしました。諏訪大社の上社の東参道を出て、直ぐ近くにあります。他の方のレビューで紹介されていますが、一つは、忠臣蔵で有名な吉良上野介のお孫さん・吉良義央公の墓があることと、本能寺の変の少し前に、織田信長がここで明智光秀を愚弄し、或いは変の原因となったかも知れない場所とのことです。吉良義央という方は、僭越ながら私は今回初めて知ったのですが、名門・上杉家の第二子として生を受け、吉良家の後継ぎとなった方だそうです。優秀で、将来を嘱望されていたにも拘わらず、赤穂浪士の件によって罪を背負わされ、ここで幽閉2年余りで逝世されたとのこと。上記、立札(写真添付)からの引用ですが、赤穂浪士ゆかりの吉良町から、当地の藩主や、当法華寺の和尚の温かい対応に対して、感謝の意が述べられていて、心温まるものも感じました。(23/10/4朝参拝)
法華寺。(202206)【所要時間30分】※日本最大級のターニングポイントかも。織田信長が宿敵武田を滅ぼした1582年2月の甲州征伐の戦勝祝いをした場所。明智光秀が「やがて天下統一が成ったなら、我らも苦労した甲斐が御座いました。」言うと織田信長が「そちごときが、どんな苦労をしたと言うのだ」と激昂した。1582年6月の本能寺の変の3~4ヶ月前のことです。※客観的に普通のものが『最高』の評価になりませんので悪しからず。
吉良家ファンなら一度は行くべし✌️吉良上野介さんのお孫さんのお墓があります☝️御朱印も頂けます☝️
江戸時代の諏訪大社の境内が描かれた物を見ましたが、こちらの法華寺を含めた広大な付近一帯が諏訪大社の境内に含まれていたみたいで少し驚きました。また、本堂の裏手には吉良義周公のお墓がありました。
木造釈迦如来三尊像(平成11年7月火災により焼失)中央釈迦像は高さ150㌢、文殊菩薩は獅子像の上に座し、普賢菩薩は白像の上に座していた。釈迦像内には「奉納如法経一部、大仏師周防法橋 長賢 八月八日造始 釈迦三尊造立 永仁2年10月(1294年)」という墨書きがあった。もと、普賢神変山神宮寺の釈迦堂にあったとされて明治の神仏分離令によりこの像は移され法華寺の本尊になった。
諏訪大社のに隣接するお寺です。忠臣蔵で有名な吉良上野介の子、吉良義周の墓所が境内にあります。戦国時代、武田氏が厚く信仰した諏訪大社を織田信長公が焼き討ちした後、ここ法華寺を本陣としたそうです。
知らなかったなぁ。吉良上野介の養嗣子義周公の墓が、ここにあったとはねぇ😮全く、知らなかったなぁ。義周の運命は、赤穂浪士の討ち入りで、天国から地獄になってしまったよね。本当に、人の生き方なんていうのは、何が起こるか分からないよね😥それにしても、義周には何の罪はないのにねぇ。時の将軍が綱吉だったのが、不運だったよねぇ😥義周の悲劇には、涙を誘うものがあるよね😭もし、義周について知りたい方は、堺屋太一の「峠の群像」を読んでね😉諏訪神社上社本宮に参拝した後は、法華寺にも参拝し、義周の墓にもお参りしてちょうだいね🙏
梅がとても綺麗。
名前 |
法華禪寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0266-52-3361 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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2024年11月13日、午後参拝茅野駅の西、諏訪大社上社本宮の横にあるお寺当日は茅野駅から自転車で行きやしたよ境内はとても静かで本堂をお参りし裏の吉良義央のお墓もお参りしやしたこちらもとても静かで悲運の御曹司に思いを馳せたさあ。