河野製作所の銅像と閻魔堂。
四恩寺の特徴
河野製作所を創立した河野秀の銅像が見られます。
閻魔堂は有名な捕縛現場の歴史を持っています。
日蓮宗寺院の特別な雰囲気を感じられます。
当寺の縁起によると、大檀那・河野秀氏の一人娘は幼い頃から病弱だったが、懐妊するも余命四か月と宣告された。そこで、開基・心眼院日喜上人、第二世・小林龍信と共に水行・断食の安産祈願をしたところ、昭和9年10月18日、当山御会式に男子を無事出産した。河野秀氏は大願成就により、宗祖日蓮大上人に報恩感謝を示すために、周辺の土地を買い上げて、昭和10年4月21日、本堂、庫裡を建立し、立正山四恩堂を開堂した。上記のことから、「四恩寺」の創建は昭和に入ってからのことと思われる。しかし、境内には宝暦年間(1751〜1764年)の馬頭観音像や、相当に古そうな五輪塔、宝暦14年(1764年)建立と伝わる閻魔堂などが残り、「四恩寺」開堂以前に何らかの信仰が行われていた可能性もある。ここには「お女郎地蔵」の話に登場する盗賊・神道徳次郎が潜伏していたと伝わる閻魔堂がある。寛政元年(1789年)4月、閻魔堂を隠れ家としていた徳次郎一味は、火付盗賊改方の長谷川平蔵が差し向けた与力同心に一網打尽にされ、同年6月に手下と共に獄門にかけられた。処刑された場所が下原刑場(現コクーンシティの辺り)で、同所の唯一記録に残る処刑である。捕縛した長谷川平蔵は、「鬼平犯科帳」の鬼平として有名。
「閻魔堂」は、火付盗賊改方長谷川平蔵が、神道徳次郎なる凶悪盗賊団の頭目を捕縛した現場であるそうだ。
日蓮宗寺院。
名前 |
四恩寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-641-2220 |
住所 |
〒330-0801 埼玉県さいたま市大宮区土手町3丁目182 |
HP | |
評価 |
3.8 |
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自動車ボディーの製作に携わり、河野製作所を創立した河野秀の銅像がありました。あと日蓮宗寺院なので日蓮も。