奈良時代の想いを馳せる国分寺跡。
甲斐国分寺跡の特徴
大正時代に史跡指定された国分寺跡がある場所です。
整備されていない風景が楽しめる貴重な遺跡です。
奈良時代の遺構が発掘展示されているギャラリーです。
整備され過ぎてないところが、これまたいい感じ。
こんな広さの国分寺跡が有るとは驚きました。礎石や石垣が広い敷地にあり整備もされています。ブルーシートが所々あり発掘もおこなわれているようです。塔跡の中心にある礎石が素晴らしい。
かなり広い敷地に、礎石が沢山あります。整備するのが、大変な感じしますね。資料館造る等の工夫あればと思いますね。
未整備の国分寺跡? 素晴らしい!上等です。何故なら復元整備してしまったら、オリジナルの実際に塔や建物が乗っていた礎石や心礎を見て触れなくなってしまうからです。今のうちに本物の質感や、柱を納めるための礎石の丁寧な窪み加工など存分にお楽しみ下さい。(笑)現地はとりあえず将来の保存・復元の為に場所を確保した、という段階でしょうか。近いうちに他県の国分寺の整備計画に習って、金堂・講堂跡には石で作った基壇を復元し、余裕があれば周辺に回廊も設置するのは間違いない所だと思います。そうなると礎石等は保護のため埋め戻され、基壇上にはFRPで複製した模造品の礎石が置かれることになります。要するにその上に直接に七重の塔などが建っていた訳ではないのですよ。現地では長年建物の重みに耐え、風霜を経て朝廷や武田氏の興亡も見てきた石の声に、是非耳を傾けてあげて下さい。ほら、聞こえるでしょ(笑)
10世紀末~11世紀初頭に既に荒廃していたと考えられている、現況は跡地としては小さくなったがかなり残っている。当初の寺域は・・南北255M 東西220Mあった・・とされている。礎石等は現在の「国分寺」が移転して残したものと言われている。
甲斐国分寺跡全体が夏草に覆われていました。訪問時に草刈りをされていましたが一人で2,3週間程掛かる様です。整備、管理の方法を考えないと物の持ち腐れです。
特別に変わった物はないので。
久しぶりに行きましたが、ただの野原になってました。史跡としての整備はされており、説明の看板がたくさん立っています。桃の花祭りの会場のそばに位置していますが、心なし昔より桃の木の数が減ったように思います。
国分寺跡が残っているだけで貴重な存在ではあるのだが、近くの国分尼寺跡に比べて荒れた感が否めないのは残念。
名前 |
甲斐国分寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/kanko/shisetsu.php?id=39 |
評価 |
3.4 |
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大正時代に史跡指定を受けて長い間、発掘調査もされずに放置されていたが住居建築申請をキッカケに発掘調査や史跡保存計画などが進み当地にあった同名の甲斐国分寺も移転して現在も発掘調査が行われている遺跡です。駐車場や案内のプレハブもありますが遺跡公園といったところでは有りません。訪問時も回廊部分の発掘調査が行われていました。金堂や講堂、塔跡が分かります。特に塔跡の礎石が見所だと思います。釈迦堂遺跡にも近いので寄ってみるのも良いかと思います。