無線電話誕生の歴史を辿ろう。
超短波実用無線電話開通記念の碑の特徴
無線電話の先駆けを記念する歴史的な碑です。
碑には詳細な概要が記されていて見応えがあります。
静かな公園内で歴史に触れられるスポットです。
無線電話の先駆けとなった記念碑です。住民の寄付によって実現したと聞きました。電化されていなかった時代に、よく実現したものだと驚きました。
碑の案内板に概略が記載してありますが、それ以外のことを。宇田式超短波無線電話装置を完成させた宇田新太郎博士は、東北帝国大学八木研究室に属し、今や世界中で使われている八木宇田アンテナを八木博士とともに考案した方でもあります。さらに博士はアンテナ発明だけでなく、日本各地でVHFの伝播状況を調べ、VHF無線装置事業者の育成にも尽力しました。日本初の超短波無線電話装置が設置された昭和8年当時、飛島の人口は約二千人、非電化の村でした。約30tの飛島丸以外に通信・連絡手段がまったくなく、冬季は1カ月も連絡が途絶することもありました。前年の超短波無線電話の実験成功を知った島民や酒田市だけでなく、吹浦、加茂、秋田県の平沢、金浦、象潟など県をまたいで広範囲の町村から計3,000円の寄付金を集め、逓信省に請願書するとともに、寄付金の提供を申し出ました。昭和8年1月に、逓信省は請願と寄付を受理し工事命令を発令、仙台逓信局は同年3月仙台市の合資会社日電商会に「宇田式超短波無線電話装置」を発注、同年7月地元の寄付3,000円を含め総工費9,440円で着工、同11月一般通話の開始に至っています。
| 名前 |
超短波実用無線電話開通記念の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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碑文:我が国初の超短波実用無線電話開通記念の碑電波を通信に利用する研究は、世界各地で競って進められた。東北帝大助教授、工学博士、寺田新太郎は、宇田式超短波無線電電話機械を開発し、昭和7年(1932)7月、酒田、飛島間でその実験を行った。当時、飛島は冬期間の通信、連絡が途絶えがちだったことから、実験の地に選ばれた。仙台通信局はこの実験の成功に着目し、翌昭和8年4月に、宇田式機会による酒田郵便局・飛島郵便局間の無線電話市外回線の実用化に着手、同年11月21日、一般通話が開始された。超短波を利用した無線電話の実用化としては、日本で最初のことである。昭和63年7月18日酒田市大分老朽化が進んで一部崩壊しています。周囲には柵が張られ、近づけないようになっています。島の中央部にある記念碑と共に市の観光ガイドに掲載してほしいと切に願います。