宝永の歴史、荒沢橋のたもとで。
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荒沢橋のたもとに祀られています。昔は、橋の下(旧道)にあったそうですが、橋が架けられ忘れ去られてしまったそうです。その後、事故が相次ぎ現在の場所に移したそうです。
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名前 |
荒澤産子地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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宝永4年(1707)、僧の全海が建立した。当初は荒沢川の傍らにあったが、明治期になって日光軌道が開通し、中禅寺道も移動し、地蔵は谷間に放置されていた。その後、大正から昭和初期にかけてこの周囲で軌道の脱線、死傷者が多数出る事故が幾度か起こり、地元民は地蔵を放置したことの祟りではないかと恐れた。その不安を拭い、大惨事の死者を弔うために、昭和23年(1948)、地蔵尊を谷間から引き上げ、堂宇を建てて祀ったという。明治時代の地図を見ると、現道はその軌道が通っていた道であり、人馬のゆく道は、郵便局や派出所の北側を通り、デイケアセンターあたりで渡渉し現道と合流したようである。