愛妻家の聖地・田代神社。
吾妻山神社の特徴
百名山の四阿山を本尊とした神社で、登山の後の参拝に最適です。
東郷平八郎氏が揮毫した石柱があり、歴史を感じられます。
愛妻家の聖地として知られ、嬬恋村の五大愛妻神社の筆頭です。
吾妻山神社(あずまやさんじんじゃ)御祭神 大山津見神 日本武尊嬬恋村のサイト「愛妻家の聖地」では、嬬恋村の「五大愛妻神社」の筆頭に「田代神社」として掲載されています。鳥居峠で信州と接し、群馬県の最西端にある田代地区は、現在は嬬恋村の大字のひとつですが、江戸時代から明治二十二年までは田代村でした。吾妻山神社は、かつての村社で、境内では杉やケヤキが社殿を取り囲み、神社の西側には子供用の遊具も設置された公園があり、住民の憩いの場所になっています。遊具のある公園の奥には平成二十七年(2015)三月に閉校となった田代小学校があります。田代小学校は、明治七年(1874)に開校し、改称、独立等を経ながら、平成二十七年四月に西小学校、干俣小学校との合併により西部小学校が開校するのに伴い、閉校となりました。閉校して間もない校舎と校庭を眺めていると、子供たちの歓声が聞こえてきそうな気がします。田代小学校の南側には銀色に塗られた火の見櫓が立つ嬬恋消防団第三分団詰所があります。嬬恋消防団第三分団詰所の建つT字路には天保年間(1830~1843)に建てられた「廿三夜」と刻まれた石碑があります。二十三夜は、江戸時代に各地で行われた月待行事のひとつで、ほかに十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜などがあり、特定の月齢の夜に、講中(仲間)が集まり、飲食をしたり経を唱えたりしながら月の出を待つ行事です。二十三夜は、中でも盛んに行われた女性の講で、子安講、子安観音の講とも言われ、塔の建立も盛んに行われました。(群馬県信用保証協会「折々の散歩道」参照)
百名山の四阿山を本尊とするこの神社には社名を書いた石柱があり、なんとあの日露戦争で活躍した東郷平八郎氏による揮毫文が刻印されている。境内には当時の陸軍大将神尾氏が献灯した燈籠も立っている。近くの畑はのちに陸軍士官学校の演習場にもなるなど、現代史の足跡が残っている。
名前 |
吾妻山神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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2021年5月に訪問、風が吹くとギシギシ音がする、今にも倒れそうな、木が有ります。境内で遊ぶ子供が巻き込まれたら大変です。危険な木の、一刻も早い、撤去が望まれます。