真田幸隆と昌幸に触れる、静かな古刹。
長谷寺の特徴
真田幸隆夫妻や昌幸公の墓所がある古刹です。
季節ごとの花々が楽しめる静かな空間です。
伝為晃運を開山に迎えた歴史ある寺院です。
サナダ・クランに深い縁があるブッダ・テンプル。境内には真田幸綱(幸隆)夫妻と真田昌幸の墓があります。
真田家の菩提寺 真田幸隆、昌幸、信幸夫人の墓と信繁の供養塔があります。ここの枝垂れ桜は見事で、開花時期が不定期で呼ばれないと見れない枝垂れ桜です。
真田幸隆夫妻、真田正幸のお墓があり、真田幸村の供養塔があるお寺さんだね🤗お墓は、本堂の裏手の方に、少し歩いた場所に立てられていました。正幸は、さぞかし無念で、心残りだったろうなと、その思いに気持ちが馳せてしまいました😢お寺さんは、旧真田町の小高い山の中腹にあり、まだまだ枝垂れ桜が、綺麗に咲き誇っていました(令和5年4月12日お参り)😊境内は、綺麗に管理されていて、気持ち良くお参りすることができました😄駐車場も完備されていて、ゆっくりとお参りできました☺️
山号を真田(しんでん)山、院号を種月院と号し、釈迦牟尼仏坐像を御本尊とする曹洞宗の寺院で、真田幸隆公が開基となり、真田本城(松尾城)内の種月庵跡地に上野国(群馬県安中市)・長源寺より晃運和尚(伝為晃運)を開山招聘、天文16(1547)年に創建されました。寺伝によれば、慶長5(1600)年9月に第二次上田合戦に伴う兵火が広がり焼失、元和8(1622)年に第6代住持職が信濃国埴科郡松代(長野市松代)に異動後開山となり真田山長国寺を建立し長国寺の末寺支配、寛保2(1742)年に台風土砂災害に遭遇、宝暦7(1757)年に火災により焼失しましたが第14代住持職・雄峰和尚により再建、明治23(1890)年1月10日に火災により全焼、昭和53(1978)年に本堂を再建、平成元(1989)年に庫裡と位牌堂を再建、平成20(2008)年に鐘楼堂を建立、現在に至ります。複数の駐車場あり、第2駐車場内にトイレあります。
2022/11真田幸隆公と昌幸公のお墓があります。静かで良い場所。なんだかパワーを感じました。
観光客の為にトイレと駐車場を併設してあります。参道を歩いて行けば石のアーチは見れます。墓前に行くには案内看板がないので少し戸惑いました。
正式名:眞田山種月院長谷寺(しんでんさんしゅげついんちょうこくじ)滋野氏海野流真田幸隆(幸綱)夫妻と昌幸の五輪塔が三基並んでいる。直ぐ隣には幸村(信繁)の供養塔もある。1547年に真田幸隆が開いた寺が「真田山長谷寺」です。長谷寺と書きますが「ちょうこくじ」と読みます。その名のとおり、長い谷上の台地奥にあります。武田軍随一の謀将・真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓があります。長谷寺は昔、種月庵と呼ばれていましたが、天文16年(1547年)真田幸隆が晃運和尚を開山として迎え、真田山長谷寺を創建、菩提寺としました。昌幸の代を経て元和8年(1622年)信之が松代へ移封となり、同地へ長国寺を建立したので、現在はその末寺となり今日に及んでいます。真田昌幸の子・信之が初代松代藩主となった際に建立したものも同じ読みの長国寺[ちょうこくじ]でした。もともとは、白山信仰を集めた岩井堂が、もう少し標高が高いところにあり、種月庵(創立年不詳)という住職のいない小さな寺が少し上にあったようです。境内には真田幸隆夫妻と、真田昌幸の墓があります。中央が真田幸隆、右が真田昌幸、左が真田幸隆・正室(恭雲院)の墓です。墓の場所ですが、本堂の右脇奥から山の方へ50mほど入って行くとあります。真田幸隆が武田信虎らに信州を追われ、上州に数年亡命していました折、面倒を見てくれたのが、安中・長源寺の住職で晃運という人。武田家が武田晴信に代替わりすると、真田幸隆は自ら武田晴信に随身し、村上義清から戸石城を奪うことに成功しました。そして旧領を回復して真田の里に復帰します。真田幸隆は、上州安中から約束通り晃運和尚を呼び寄せて長谷寺の開基に招きました。関ケ原の戦い後は真田信之の上田領として残りますが、真田信之も松代城に転封となった際に、長谷寺も松代城下に移り、こちらは長国寺になったそうです。墓所には、苔の生えたいたる場所に同種のコイン6枚をお供えして、「真田六文銭」に縁起をひく参拝者が多いようです。引用。
朝早くお参りさせて頂きました。扉を開けてお参りしてください、という貼り紙があったのでそうさせて頂きました。右側の机上には写経をどうぞ、とあり、それも体験。願い事も書いて納めてきました。とてもリフレッシュできました。
耳をすますと真田の息が感じられる。六文銭の魂、ここに眠る。
名前 |
長谷寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0268-72-2040 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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雨の日で参拝者も少なく落ち着いてお参りする事が出来ました。