坂本龍馬の妻・おりょうのお墓。
信楽寺の特徴
坂本龍馬の妻、おりょうさんのお墓があります。
1504年創建の浄土宗のお寺です。
京急大津駅から徒歩圏内の静かな場所です。
三浦地蔵尊二十七番札所。京急大津駅が最寄り駅。駅前の踏切を渡り道なりに、ボランティアセンターがある突き当たりに出たら左へ、そのまま歩くと「浄土宗信楽寺」の矢印看板がありますので、矢印に沿って歩いた突き当たりが、目的のお寺です。お地蔵様は、本堂内左側におりました。坂本龍馬の妻、お龍さんのお墓があるお寺です。何処かなと墓地を見てみると、遠くからでも分かる、大きな墓石が一番奥に見えました。
お寺の墓地には幕末の志士として有名な坂本龍馬の妻「おりょうさん」のお墓があります。坂本龍馬の死後、横須賀で再婚し、西村ツルの名で最初は大津、次に米が浜に住んでいました。その関係で、大津にある信楽寺にお墓が建立されたそうです。また、寺伝によれば、信楽寺のご本尊は阿弥陀如来様だそうで、平敦盛との一騎討ちで有名な鎌倉時代の武将 熊谷直実の守護仏が、武蔵国の熊谷寺から東海道の大津宿の信楽寺に納める筈だったのを、間違えてこの大津・信楽寺に納められたためとされています。因みに、「おりょうさん」のお墓は、「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれていて、お墓を建てた旦那さんの西村の名ではありません。この辺りが名前違えの名刹の功徳でしょうか?こちらでは、毎年秋に龍子を偲んで墓前祭など、「おりょうさんまつり」が催されているそうです。
坂本龍馬の妻、お龍の墓所。ただし、ここに葬られたのは、横須賀の行商人西村松兵衛の妻ツルとして。松兵衛さんは、自分の女房の墓なのに、「阪本龍馬之妻龍子の墓」と刻んでやった。
龍馬の奥様が眠っています。
墓所の投稿でも書きましたが、幕末の志士、坂本龍馬の妻、お龍の墓所があるお寺です。お龍さんには、竜馬との出会い、寺田屋での活躍、日本初といわれる新婚旅行など面白く楽しいエピソードがありますが、竜馬の死により暗転します。流浪困窮し横須賀の地にて再婚しますが、貧困は変わらず、酒によっては竜馬の妻だと絡んでいたとも。竜馬の死、前後とも波乱万丈な女性でしたが、竜馬という男がいなければ彼女を幸せにできなかったのでしょう。土佐藩士・佐々木高行は、お龍のことを「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。善悪ともに兼ぬるように思われたり」と言ったとされますが、その言葉通りだったようです。そんな不遇なお龍ですが、死後8年たった後、大正3年(1914年)8月に援助を受けてこの墓所を立てることとなったわけです。夫である西村松兵衛らが賛助人であったのですが、墓碑には夫の西村の名ではなく「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれているのは、彼女の誇りへの手向けと、最後まで扱いきれなかった想いが感じられ、お龍という人物を教えてくれるようです。あの世で面白おかしく竜馬と暮らしてほしいものです。
坂本龍馬の奥様おりょうさんが眠っていますと共に私の先祖がおるところでもあります。
京急大津駅徒歩圏内。坂本龍馬公正室、お龍どののお墓がございます。毎年秋にはお龍さまを偲びおりょうさんまつりがおこなわれています。御朱印は本堂横のご住職さま宅で頂けます。
静かなお寺さんです。坂本龍馬の妻、お龍のお墓があります。
坂本龍馬信者なら、きっとここ信楽寺を訪れたいと思う筈。龍馬の命の恩人でもあり愛された女おりょうさん。その生涯は、波乱だらけだったと言われてますが、謎も多く龍馬さんを失ってからは、露頭に迷う様に生きてたという話。一節では、龍馬さんの師匠だった勝海舟さんに紹介されて、おりょうさんは料亭で勤めて横須賀の長者に出会い見初められて横須賀で生涯を終えたそうです。最後まで龍馬さんを思い続け、お墓は阪本龍馬の妻、龍子之墓と刻まれたそうな。
名前 |
信楽寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-836-3731 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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幕末史ファンの1人として、おりょうさんのお墓参りをずっとしたかったのでやっと念願叶いました。小さなお寺です。大津駅から徒歩5分くらい。帰りは新大津駅まで10分ほど歩き、その後、久里浜駅の近所にあるペリー記念館へと移動しました。