歴史が息づく城跡の散策。
深沢城跡の特徴
深沢城跡は戦国時代の武田と北条の激闘の舞台で歴史を感じられます。
三日月堀や郭の様子が良く残っており、戦の痕跡が見られます。
夜景が素晴らしく、見晴らしの良い本丸跡までの散策が楽しめます。
2018/8/9超有名な城でも、今は意識して見ないとただの田畑山林である。この深沢城をめぐって、北条と武田が戦いを繰り返していたことは、今となっては全く想像もできない。城跡西側には結構大きな堀跡が遺っており、ここは是非とも見てほしい。
現在は水田となっており案内が無いと分からない、入り口の案内板を写メして案内の杭を頼りに散策して下さい、歩き易い装備で行って下さい木々に覆われていますが良く見ると堀の跡等が分かります本丸跡迄行かれると見晴らしが良くなっています、絵葉書で見た事があるような感じです駐車場はありませんので考慮願います。
築城年代は、明確な記録が残っていないため不明ですが、16世紀初頭に今川氏規の命により築かれたと云われていますが、それ以前に葛山氏の流れを組むと云われる深沢氏の館が在ったと云われています。いずれにしても、今川氏が駿河・甲斐・相模の国境と足柄街道を守る城として、整備したと伝わっています。北条氏の支城として、黄八幡で名を馳せた【北条綱成(北条道感)】が城主であった時期もあります。境目の城として、北条氏と武田氏が争奪戦を繰り返しますが、武田氏滅亡後は北条氏への備えとして徳川氏の城となり、北条氏滅亡後は、廃城となりした。現在も馬出しや空堀などの遺構が良好な状態で残っており、近隣に在る大雲寺に大手門が移築され現存しています。
当時の曲輪が想像できる。2つの川に囲まれた堅固な作り。近くにある信玄塚から眺めると、より当時の様相がイメージできる。
後北条、武田、徳川と支配者が移り変わったお城とのこと。各曲輪が田んぼになっている珍しい城跡で、何か美しい感じがします。川を利用した縄張りで曲輪に面する堀も深い。武田流の丸馬出しも残っています。
三日月堀や郭の様子が良く残っているが、いかんせん肝心の見たいところがヤブだらけ。もう少し整備していただけると・・・。残された遺構は、見ごたえあるものでした。
歴史を感じました。
今川、武田、北条、豊臣、徳川と度々戦場となり所属を変えたお城。今は田んぼになっている。
遺構が良く残っています。確かに二の丸や本丸跡は田んぼになっていますが、郭を隔てる堀や縄張り、2本の川に挟まれた要害であることなど、この城の成り立ちが良く分かります。今川氏が造り、北条氏が攻略、更に武田氏が奪取したので、三日月堀や入り組んだ堀・縄張りになっています。場所を表す立て札が設置されや城跡ファンも訪れるでしょうし、住民の方の生活もあり苦労もあると思われる中で、良く整備されていると思います。
| 名前 |
深沢城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0550-83-4770 |
| HP |
https://artscouncil-shizuoka.jp/culture-resource-db/detail.php?id=1021 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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武田と北条の間で争われた記憶にも残っている。二つの川に挟まれた台地上にある城で曲輪はほぼ水田となっており旧状は留めていないが曲輪間の堀や馬出がよく残されていた。三日月堀も薮に覆われているが確認できた。