上野三碑、金井沢碑で歴史探訪。
金井沢碑の特徴
上野三碑の中でも新しい碑で、726年に建碑された重要な史料です。
根小屋駅から最もアクセスしやすく、整備された道が魅力的です。
読書や静かな時間を楽しめる、落ち着いた山の中にあります。
上野三碑の中ではあまり目立たない存在のようですが、上信電鉄の駅(根小屋駅)からはいちばん歩きやすいところにあります。石碑そのものはお堂の中に納められているので、直接見たり触れたりはできません。ボランティアの方の説明がよく解りました。
上野三碑のうちでは最も新しいものの、それでも七二六年の建碑となります。内容は家族代々仏教を信仰していてハッピーですというもので、仏教信仰が当時は辺境であった東国にまで浸透していたことを示す貴重な史料です。公共交通機関で上野三碑を回る場合、高崎駅からもっとも近いのはここですが、上信電鉄で吉井駅まで出て、そこから無料の「上野三碑めぐりバス」に乗って、多胡碑と多胡碑記念館(上野三碑に関する詳細な解説あり)、山ノ上碑、ここと回るのがよいかと存じます。金井沢碑からならタクシーで高崎駅まで行っても三千円はかかりません。
たまたまガイドのかたのいらっしゃらない時間に行ってしまいましたが、ガイドのかたがいらしたらお願いする事をお勧めします駐車場から碑まで、良く整備されています。
ユネスコの文化遺産に登録されて歴史的価値がぐっと上がりましたが、ここも三碑にいえますが、ガードが固すぎて親近感が湧かないです。何かあっちにあるみたいです。どこも石造文化財のそれなりものはガードが固いです。木て作られた階段状の見学路ができていました。無料のシャトルバスが上野三碑巡りに運行しています。
2022年1月5日に上野三碑めぐりバス(無料)を利用して訪れました。神亀3年丙寅726年2月29日と石碑にあります。三家氏の子孫や家族と嫁ぎ先の物部氏の関係者が、仏教に帰依し、仏恩を賜るように祈念した碑です。大宝律令701年制定の国郡郷里制について知ることのできる資料です。また、主婦である家刀自が、実家の先祖供養儀礼に加わっていることも家族の在り方を知る上で参考になります。羣の字は、現在の群ですので、車(くるま)から群馬に変化した初期の事例だと思います。朝廷の直轄地である屯倉(みやけ)は、全国各地に分布していますが、屯倉を管理する豪族が、三家・三宅と名乗った例と考えられます。蘇我氏との抗争に敗れた物部氏が、この地方に根を下ろし、仏教に帰依するまでに時代が下っています。新羅や百済からの移民の影響が、仏教の浸透に大きく影響していたことが伺えます。東北地方の官衙新設に伴って、この上野国からも多数の農民や兵士が送り込まれました。物部氏の軍需産業が、背景にあったと想像しています。
上野三碑(こうずけさんぴ)巡りで、金井沢碑に行って来ました。県道30号線から金井沢碑方面(南西方面)に折れて丘陵地帯を上って行くのですが、平日なのに車の流れがあり同じ方向だと車列について行ったら、肝心の金井沢碑への曲がり角を通り越すところでした。平日のこちら方向の車列は、観光地のここを通り越して真っすぐその先の山の方へと進んでいます(大規模の住宅街があるみたいです)。駐車スペースもトイレも整備されていて、碑のある所までここから100m位緩い上り道が整備されていました。
群馬県群馬郡群馬町のある時代に住んで見たかった。そしたら今以上に群馬にいることに誇りを持てたかも。無料の上野三碑めぐりバスがあるようです。
古代東国の家族関係・氏族関係、仏教の普及と有力な仏教教団の成長、地方行政制度の実態などを知る上で極めて重要な史料です。在地における群馬の最古の表記の「羣馬」が見られます。
ライトと音声ガイダンスがついているので、いつでも問題なく見学できます。
名前 |
金井沢碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-321-1292 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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上野三碑の一つです。駐車場から金井沢碑までは、とてもキレイに整備されており、階段はあるものの、歩きやすくなっています。石碑は建物の中にありますが、四方から中を覗けるようになっています。日曜日の12時から15時までの間に訪れると御朱印?がもらえるようです。