隠れキリシタンの地蔵尊で歴史探訪。
造石法華経供養遺跡の特徴
隠れキリシタンの遺跡で、珍しいお地蔵さんが祀られています。
造石地蔵尊はガラシャ夫人ゆかりの歴史的な場所です。
人々を供養するために建立された、貴重な石仏が見どころです。
小さな御堂です。ちょっと解りずらい‼️古い歴史がある御堂です。近くに庭谷城址などあり昔から人の行来があったらしいです。
隠れキリシタンの遺跡ともいう、少し変わったお地蔵さんがお堂に祀られている。
こちらの造石地蔵尊は、足利幕府の将軍義輝、明智光秀の娘であり、細川忠興に嫁いだガラシャ夫人などの人々を供養するために建立されたものだそうです。将軍義輝は、家臣であった三好松永らによって、二条御所に居るところを急襲され、みずから薙刀を奮って応戦しましたが、寄ってたかって討ち取られてしまいました。その時、義輝の腹違いの兄であった細川幽斎は、たまたま不在であったため、難を逃れました。憤死した義輝の霊を慰めるため、幽斎は地蔵尊の建立を念願しましたが、病に倒れ果たせませんでした。元和元年(1615年)大坂夏の陣において、幽斎の息子である忠興は、徳川方で戦っていました。しかし、その子の興秋は大坂城内に居ました。豊臣方に人質として取られていたからです。興秋は城方として、父の居る徳川方と戦わざるを得ませんでした。夏の陣は徳川方の勝利に終わり、忠興は我が子を取り戻しましたが、家康は興秋を許しませんでした。家康から身柄の引き渡しを命じられた忠興は、我が子を殺すに忍びず、偽の首を差し出し、ひそかに興秋を旅立たせました。興秋は諸国を巡ったのち、この造石の地に居を定めました。すぐ近くの福島宿に、縁ある織田信長の二男である信雄の陣屋があったからだとも言われています。興秋は名を作助と改め、祖父が果たせなかった地蔵尊を建立し、将軍義輝の霊とともに、関ヶ原の戦いの前に非業の死を遂げた、母のガラシャ夫人も合わせて供養したといいます。地蔵尊の体が十字になっているのは、キリシタンであった母への思いであるとも言われているそうです(^_^ゞ
明智光秀の娘 細川ガラシャ(細川忠興夫人)の子供 細川興秋が祖父幽斎に託され建立されたとも造石地蔵尊の腹部が十字となっているのはガラシャ夫人の隠れキリシタンを示したものともいわれている。
長岡家の歴史に触れられる貴重な場所です石仏は一度は見るか価値あります。
駐車場も無いほど密やかな遺跡です。
名前 |
造石法華経供養遺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
http://www.town.kanra.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/gunma/04.html |
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ

いい場所だけど駐車場が無いのが難点。