江戸深川の歴史溢れる山門。
聞名寺の特徴
聞名寺の山門は冬木弥平次が寄進した歴史ある造りです。
兼営の保育園で子どもたちも利用してお世話になっています。
安中市の地域のシンボルとして多くの人に親しまれています。
兼営している保育園でお世話になりました。こちらで年一回、8月15日に「えんま大王祭」が開かれます。と言っても盆踊りと福引きをするだけですけれど。ただ、この時期、地元から離れて生活していた友達と逢える機会はこれぐらいですから、皆、この日を待っていたわけです。青春の思い出、って言うと大げさですかね。昔、南こうせつさんのオールナイトニッポンで「えんま大王シリーズ」ってありましたよね。あれ、パックインミュージックでしたっけ?みんなで、「えんま大王だ~」って言ってました。令和元年12月29日当寺、境内にて 令和2年1月6日月曜日 午前10時10分ごろ安中鳶職組合 若鳶会皆さんによる「はしごのり」があります。当日は 七草粥と甘酒もいただけるそうです。この機会に、善光寺式三尊像も開帳されるそうです。
こちらの山門は、江戸深川の材木商であった冬木弥平次の寄進によるものだそうです。碓氷郡板鼻に生まれた冬木屋の初代五郎右衛門は、江戸へ出て材木商となりました。まもなく明暦の大火が起こり、材木の需要は飛躍的に伸び、冬木屋も一気に大商人となりました。この五郎右衛門には子が無かったので、在所板鼻の弟の子を貰い受けました。これが冬木弥平次です。弥平次は寛永寺、護国寺、護持院を造営し巨万の富を得ると、それを遊興に使うことなく、当代一流の芸術家につとめました。そのひとりは名声は高かったものの、貧困に喘いでいた尾形光琳でした。光琳は弥平次の恩に報いるため名画「八ッ橋屏風」を描き、また弥平次の娘のために、衣装に墨絵で秋草を描きました。これは現在、国立博物館に「冬木小袖」として所蔵されているそうです。ほかにも彫刻の横谷宗岷、絵の英一蝶(はなぶさいっちょう)なども手厚く保護しました。同時期に、同じく巨万の富を大散財した紀伊国屋文左衛門などと比べ、やはり橋や道路を作った塩原太助とともに、上州生まれの大商人は、歴史に良い名を残したようです(^_^ゞ
名前 |
聞名寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-381-0642 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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しげたまでずどんと通る参道が良い雰囲気。