平安からの歴史を感じる!
国指定史跡 志太郡衙跡の特徴
平安時代から奈良時代の貴重な役所跡が残る史跡です。
日本国内でも数少ない郡衙の遺跡に出会えます。
近くの藤枝郷土博物館で歴史を深く学べます。
平安時代から奈良時代の役所跡かなり貴重かもです。
奈良〜平安時代にかけて志田郡の役所があった史跡。資料館も併設されております。敷地内は草が伸びていてあまり手入れされてない感じなのがもったいないです。
詳しいことは直ぐ近くの藤枝郷土博物館で知ることができる。郡役場のようなものだったようだ。木簡や墨書のある土師器が出てきて当時から志太と呼ばれる土地だったそうだ。1000年も前の井戸が発掘された際の写真があったが、良く残るものだ。
小さな川と低い小山に挟まれたところに残る奈良時代の役場(郡が)跡で、地味ながら国指定史跡です。1970年代後半、駿河台団地の宅地造成に際し、古い建物の跡が見つかり、「志太」という地名が書かれた墨書き土器が出土したことで、古代の役場の遺跡だと判明したそうです。当時の大井川や瀬戸川が氾濫していたとしても影響はあまりなさそうな場所です。志太(しだ)地区というと、大井川河口デルタ域とされる島田市、藤枝市、焼津市あたりに広がる平野一帯のことをさすようです。藤枝市立総合病院が、以前は「志太」総合病院、サッカーの名門、藤枝東高校も旧制「志太」中学と呼ばれていた過去があったり、古い地名だろうとは想像していました。よもや奈良時代までさかのぼるとは驚きました。資料館に、大井川河口域の流路と当時の地名が書かれた地図がありましたが今の藤枝や焼津あたりは中州だらけで、その間を網の目のように流れており、「高柳」など藤枝市内に今もある地名を見つけました。訪れる人も少なく、公園のようなのどかな雰囲気です。派手にPRはしていないものの、歴史的価値は高く、珍しい史跡です。月曜や年末年始は休館だそうです。
「撮影禁止」と展示エリアの入口の右側に小さな張り紙があるが、赤字の「禁止」が消えかかっていてほぼ気付かない。
史跡公園として整備されており、数々の遺構が復元展示されています。すぐ前の道路は車両が入って来ないので、周辺を散策するのにもよく、他にも散歩している方が見受けられました。この場所に駐車場は有りませんが、少し歩いた先に有る「青島北地区交流センター」に停められます。こちらは21:30に門が閉まるとのことなのでご注意下さい。
中学校や住宅街のすぐ近くに位置します〜!
日本国内でも数少ない、郡衙の遺跡です。千数百年前の皿に書かれた地名とか、ロマン過ぎます。2021年12月現在工事中ですが、展示品の見学は通常通り可能です。
今日は徳川家康と藤枝近郊の伝承を学ぶ講座に参加しました。
名前 |
国指定史跡 志太郡衙跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
054-646-6525 |
住所 |
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HP |
https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/soshiki/_shisetsu/1445918022668.html |
評価 |
3.7 |
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今まで縄文遺跡や旧石器時代遺跡に興味を持っていたのですが、たまたま訪れたここ。とても興味深く感銘を受けました。旧石器時代や縄文時代、いわゆる先史時代と違うのは、人の営みが記録として文書で残っていることです。そのことがこの場所の歴史的な意味を具体的に事実として伝えてくれることです。この時代の人の営み、社会のあり様などを事実として伝えてくれます。勿論この史跡だけでは解らないことは沢山ありますが、それだけに想像力を刺激されます。言ってみれば、たかだか千数百年前の事なのですが、先人は後世に何かを残そうと思うことは無かったのだと思うので、私達は残された文字や文書、遺跡から想像するしか無いのですよね。このことがとても楽しい事だと、この場所で改めて解りました。井戸の跡、柱の跡、これらからいろいろ想像してみてください。素敵な時間が過ごせます。