古代の美と由緒を感じる神社。
遠江國三之宮 冨士浅間宮の特徴
遠江三宮として知られる由緒ある神社です。
400年前の白木の楠材で貴重な本殿があります。
重要文化財に指定された本殿が改築中です。
坂上田村麻呂の創建と伝え、遠江三宮とも称せられる由緒ある古社です。延喜式内、山名神社、あるいは郡邊(こおりべ)神社の候補に擬せされることもあります。ちなみに、遠江一宮は森町の小国神社、あるいは掛川市の事任(ことのまま)神社。二宮は磐田市の鹿苑神社。丘陵の中腹には鬱蒼とした社叢が広がり、楼門後や鐘撞堂の跡にかつての繁栄をしのぶことができます。天正年間に建立された檜皮葺の本殿は、桃山時代の雄大な建築様式を今に伝える国の重要文化財。塀越しに眺めることになりますが、白木の簡素で厳かな姿をぜひじっくり堪能してください。私が訪問したのは、ある休日の午後。社務所は無人で御朱印をいただくことはできませんでした。ですが、風の音と鳥のさえずりしか耳に入らない、ぜいたくな時間を過ごしました。さて、一帯の地名を不入斗(ふにゅうと)といいます。かつてはいりやまず、あるいはいりよまずと読み、中世には「不入計」と表記されてました。南北朝時代の建武2(1335)年に、足利直義が神領を寄進した文書にも「不入計」と記されています。中世、袋井市の東から掛川市にかけての山名郡には、山名荘という荘園がひろがっていたと推測されています。(『袋井市史』による。)いりやまず、という珍しい地名の由来は浅間社の神領であるがゆえに荘園領主、あるいは国衙の年貢の計算に入らない、という意味であろうと『掛川誌稿』などは解しています。名将、坂上田村麻呂の創建という由来にあやかってか、足利直義ばかりでなく兄尊氏や、駿河守護の今川泰範も当社に寄進を行い、本堂も地元の武士、本間氏が再建したとの棟札が伝わっています。ちなみに、戦国時代に兵火にかかったとの伝承もありますが、火を放ったのは例によって武田信玄(笑)。もちろん、疑わしいのですが。さらに余談になりますが、掛川市にも「入山瀬」という地名があり、こちらもかつては「いりよまず」と読んだとも。小笠神社の神領ではなかったかとも推測されています。
社務所は閉まっており誰もいませんでした。連絡先が記載されている掲示物等もありませんでした。
本殿は重要文化財です。歴史は古いようで、大きな神社だったことが分かります。今は住宅地の裏手にひっそりと佇んでいますが、その昔台風で倒れてしまった楼門の礎石が残っています。どんな楼門だったのだろうか?と想像しながら境内を回るのが良いでしょう。ちと上級者向けですね。
美の神様です!
旧東海道に大きな赤鳥居があり、北に歩を進め、国道1号線、東名高速を跨ぎ、くぐると石段が現れる。(真っ直ぐ登ると右に折れて鳥居が現れる)車の場合さらに来た道を登ると拝殿脇に駐車場があり、下って登るという手間が省ける。どちらから登っても西へ進めば原川浅間宮もある。本殿は三間流造(さんげんながれづくり)と呼ばれる優雅な造りで桃山時代に創建。国の重要文化財にも指定されている。とはいえ過去三度の参拝で社務所の方も含め人とお会いした事がない。規模を考えたら知名度が低い。単純にアナウンス不足だと思う。
重要文化財の本殿の屋根は富士山を意識したものか。反りが素晴らしい。
本殿正面から見て左手側面の欄干の一部が長い年月がたっている事で節が盛り上がり竹のように見えました。1キロ離れた所にある赤鳥居の頭の部分が見えますよ。(本殿前の開けた所から、スマホやカメラの望遠を使えば見えます。)檜皮葺の美しい屋根の色、楠の白木(総作りではないですが)の木目のつまった木肌の重厚といい風情があります。
閑静なお宮です!
寂しい神社です。
名前 |
遠江國三之宮 冨士浅間宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0538-42-3774 |
住所 |
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HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4411016 |
評価 |
3.5 |
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頻繁に来ています、境内社多し、詳しくは日本書紀、古事記を参照してください、看板は見逃してはなりませんね。