歴史ある龍穏寺で心癒す。
龍穏寺の特徴
越生七福神巡りで訪れる際に美しい山門が見どころのお寺です。
太田道灌所縁の古刹で、歴史を感じさせる趣ある景観が魅力です。
奈良平安時代創始の寺院で、重要文化財としての価値が高い場所です。
入間の山の中と言った場所。雰囲気は良く、心が落ち着きました。ただ途中の道は車1台分しか通れず、対向車が来たらどうしようと心配になりました。またauと楽天の携帯電波はどちらも繋がらない場所でちょっとビックリしました。少し下るとすぐにつながりましたが。
太田道灌のお墓のある龍に縁のあるお寺ということで参詣しました。気温35℃を超える暑い日ですが、境内は凛とした清々しい気が流れているように感じられました。辰年生の自分とこのお寺の龍のパワーが同期したようです。お寺の前を流れる谷川も清冽で涼やかな空間にしてくれていますね。御朱印もいただきました。ありがとうございました。
県や町の重要文化財に指定され、見ごたえのあるお寺でした。太田道灌の墓地もあり、山中にこのような立派で歴史的な建造物があることに少し驚きです。
越生の林道を下ると出てきます。トイレが有りますので場所を覚えておくと役に立ちます。鐘突で古い鐘が置かれています。門も独特で雰囲気を感じました。隣に川が流れて落ち着ける所です。駐車場も有るのでトイレ休憩の後に立ち寄っても安心です。
長昌山龍穏寺は奈良平安時代に役の行者らによって創始され、応永3年(1398)に足利義教の招請によって、無極禅師が開山しました。のち第3世泰叟禅師に至り、太田道真・道灌父子が再建したといわれ、境内には道真・道灌公が眠ります。その後、豊臣秀吉公から百石の御朱印を受け、さらに徳川家康公からは曹洞宗関東三大寺の筆頭として10万石の寺社奉行に任じられました。本堂は大正2年(1913)に焼失しましたが、経堂や銅鐘など多くの文化財を有しています。
曹洞宗の古刹で太田道灌と父親の道真が中興したお寺で、二人の墓があります。何度か火災にあって、山門と経蔵と熊野神社は江戸時代終わり頃の再建で、本堂と庫裡は大正時代に焼失後、再建された。お寺の左側には熊野神社があります。本殿の彫刻が立派です。
越生駅よりバスと徒歩で、行きました。バス停より25分程で着きました。曹洞宗、関三刹のひとつ、名刹です。印象として、山あいにある曹洞宗寺院共通の雰囲気があります。栃木の大雄寺に似てますかね?山門と経蔵は、彫刻が素晴らしいです(経蔵の方は鏝絵だと思ったら彫刻なんだそうです。)。江戸城を最初に築城した、太田道灌のお墓があります。バス停からの道のりは、キツくない上り道でしたが、帰りは下りがキツく感じたので、そこそこ登っていたのかな?バスは、概ね毎時1本ですね。越生駅に戻ってから、観光案内所にレンタサイクルがありました(電動アシスト付き)。台数などの、詳細は不明なので利用する際は、予め問い合わせた方が良いかな(あまり台数は確保されていないよう。)。
太田道灌所縁のお寺です。自分は太田道灌と紅皿の話が大好きで、紅皿が道灌にそっと手渡した山吹の花の歌(七重八重花は咲きけど……)の真実が知りたくて各所を廻ってきました。鷹狩りでの出来事だと言われてますが、場所も色々言われていて、今の新宿大久保近くとか、西新宿、そしてこの龍穏寺周辺、等々色んな説が有りますが、自分はこの龍穏寺では、と思っております。分骨されたお墓も整備されて参拝出来ました。何度か火災があり、昔は大勢の僧侶が居たとされ、著名な優秀な僧侶を輩出し、永平寺のトップに何人も選出された有名なお寺として有名でした。火事の時(大正時代)にその時いた大勢の僧侶が火を消すため池に飛び込み体を冷して、濡らして自分の体で火を消した、とされています。
太田道灌所縁のお寺です。山の中のお寺でもあり、境内には神社も祭られておりました。神仏融合。寒い北風がふく中、日向ぼっこしてるワンちゃんが可愛かったです🐶
名前 |
龍穏寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
049-292-3855 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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越生七福神巡りのうちでも立派な山門を備えるお寺。一番見応えがあったかな。