大日堂古墳で歴史散策。
大日堂の特徴
大日如来のお堂がある大日堂古墳と呼ばれています。
戦国時代の歴史を感じる場所で、景色が美しいです。
NHK大河ドラマ『どうする家康』の影響で訪問者が増えています。
木原畷古戦場に続いて訪れました。確かに袋井方面が見渡せ、本多忠勝が武田軍の偵察をしたのがうなずける立地です。しかし武田軍3万に対し、徳川方は4千では勝負になりません。よく撤退出来たものだと思いました。[家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭と、本多平八]と呼ませただけあります。
NHK大河ドラマ『どうする家康』を機会に、郷土磐田市及び周辺の袋井市、掛川市などの歴史の痕跡を訪ねています。この「大日堂」や「本多忠勝の物見の松」があった場所は、その後戦われた「三方ヶ原の戦い」に続く徳川軍と武田軍のまさに戦いの契機となるものです。そこからの眺めは眼下の袋井市街を挑めるスポットでもあります。現在、「物見の松」はなく、その場所に石碑が建っています。
見晴らしの良い場所です。看板読んで、由来の松を探したのですが~細いヒョロ松しかありませんでした。少なくともの、由来のある松の何代目だったのか?
戦国時代、徳川家康と武田信玄の戦いの最前線だったらしい。本多忠勝がここで物見をしていたとか。
平日だったのもあるが、閑静で良い雰囲気の古道の近くにある。袋井側が見渡せるので景色も良い。太田川流域から登ってくる時は坂がきついかも。
もう少し木が切ってあると展望が開けてよいと思います。
散歩に平和(原文)Tranquilo para passear
この辺りから、袋井の街並み(というほど街ではありませんが)が見えます。
鎌倉時代の道が散策できました。
名前 |
大日堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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甲斐武田信玄の兵が遠江西上進軍の際に徳川四天王本田忠勝がここから物見をしたとされるが、そもそもここは大日如来のお堂がある事から「大日堂古墳」と呼ばれる円墳であり、その墳丘にお堂が建っている。創建は717年と古いが、明治時代の神仏分離政策のあおりをうけ存続が厳しくなり、ごく小さなお堂に改められた後に1922年に現在のお堂の規模となった。時代によって7つのルートがある三ヶ野坂だが、大正時代の変更まではこの地のすぐそばを東海道が通っており、入口は鎌倉、江戸、明治、大正それぞれの道の坂上での合流地点でもある。