苔の美しい参道で贅沢な癒し。
医王寺の特徴
苔の参道が印象的で、自然の美しさを感じさせるお寺です。
月に一度の写経や写仏ができる貴重な体験が楽しめます。
歴史深い医王寺の境内には芭蕉句碑もあり趣があります。
【訪問時期】:2023.01自然が多く癒されました。
医王寺(いおうじ)所在地 磐田市鎌田2065-1宗 派 真言宗智山派山 号 鎌田山院 号 金剛院寺 号 医王寺御本尊 薬師瑠璃光如来遠州四十九薬師 第四十六番札所山を持たず、平地だけで約8.000坪の境内地があるお寺です。参道には、杉苔が生え、重厚な山門が出迎えてくれます。また、庭園は江戸時代初期の元和年間(1620年頃)に造園された、枯山水の庭園で客殿の西側と南側を合わせて、1.000㎡の広さで作者は、小堀遠州(こぼりえんしゅう)と言われています。境内には、薬師堂・大師堂・庫裡・鎮守堂等が建ち、見応え十分でした。医王寺は、天平6年〜20年(734〜748年)聖武天皇の勅命を奉じて、行基菩薩が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊ありとし、山内の名木で薬師如来の尊像を一刀三礼のもとに敬刻、御本尊として祀ったのが始まりと伝わる。平安時代の弘仁年間(810〜822年)嵯峨天皇の厚い帰依を受け、七堂伽藍が整い、真言密教の根本道場となりました。その当時の山容は、広大な境内に本堂・金堂・講堂・五重塔・三重塔・鐘楼堂・仁王門・三十六ケ坊の末寺などが配置されていました。しかし、戦国時代の元亀3年(1572年)、武田信玄勢の兵火にかかり寺塔ことごとく灰燼に帰した。後に天正12年(1584年)徳川家康公は、兵火による焼失をいたく惜しまれ、自ら浄財を出して、その復興を援助されましたが、ついに旧観に復帰させる事は出来なかったそうです。
令和4年4月拝観しました。JR御厨駅からすぐでした。なかなか大きいお庭だと思います。北奥のソテツの植え込みは立派なものだと思いました。ただ、写真を撮らしていただきたかったのですが、撮影禁止の張り紙はありませんでしたが、伺おうにもお寺の方が近くにおられず、無許可では撮る事は出来ず。結局撮らずじまい。このお庭の見頃は6月の雨の日とか。その頃もう一度伺う事が出来たらと思います。
御厨駅の南側。無料駐車場あり。四季折々の景色を堪能できるとても素敵なお寺さんです。拝観料200円で枯山水も楽しめました。
お寺と思ってきたら、武家屋敷か!ってくらいの立派な石垣が出迎えてくれます。中は先代住職の趣味で集めた流木やら、見事な透かし彫りの欄間やら、庭園が見れます。欄間の枠からはみ出たものなんて初めて見ました。昔は、お百姓さんに食事を提供したり、銭湯だったり、寺子屋だったり、イベント会場だったりと、およそ寺とは思えない営業スタイルを取っていたそうです。こじんまりしてて中々に楽しい所でした。
お庭のとてもキレイなお寺。様々な樹木が植えられていて、見所たくさん。今日はお彼岸詣りをしていたため、本堂の方には行けませんでした。遠州の苔寺と呼ばれているようなので、時期を見てまた来たいと思います。
風格ある苔の参道が印象的な真言宗の寺院で、奈良時代に聖武天皇の勅命により行基菩薩を開基として開創されました。平安時代には、広大な境内に七堂伽藍を誇る、壮大な真言密教の根本道場でしたが、戦国時代には武田信玄勢の兵火により全てを焼失しました。その後、江戸期には徳川幕府の庇護を受け大いに発展しました。明治維新の廃仏毀釈の波に翻弄されながらも、現在まで法灯を守り続けています。庭園は小堀遠州の作と伝えられます。
「医王寺」は真言宗智山派の寺院で、行基作と伝わる薬師如来も有ると言う古い歴史を持っています。「東海の苔寺」と言う異名を持つ通りに本場京都にも負けない位の苔感が味わえます。本堂へ向かっていく石参道の廻りの苔もイイ感じですし、小堀遠州作と伝わる庭園に生える苔もとてもいいです。個人的には寺の入り口付近にある石垣に驚かされます。磐田市は東海道の要衝ですし、「何かの城跡か⁉️」と勘違いしてしまうような堅牢さがあります。
苔の道が京都のお寺のようです。
| 名前 |
医王寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0538-32-8710 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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苔のお庭でぼーっと過ごす贅沢な時間を味わいました。有料ですのでお間違えなく。春と秋のお彼岸には落語の独演会があるよう。落語好きな方は要チェックです。御厨駅から歩いて5〜10分ほど。