見付宿の歴史感じる門。
見付宿脇本陣大三河屋門の特徴
東海道五十三次の宿場巡りで訪れた歴史的な場所です。
江戸時代にサブの大名用宿泊施設だった貴重な跡地です。
見付宿脇本陣大三河屋門は元の場所に移築復元された門です。
見付宿脇本陣大三河屋門(みつけしゅくわきほんじんおおみかわやもん)大三河屋新左衛門家は見付宿の旅籠を営んでいましたが、文化2年(1805年)から脇本陣に指定されました。脇本陣は本陣を補う宿泊施設で本陣が大名などで使用されていた場合は脇本陣がその役割を務めました。
見付宿脇本陣大三河屋門見付宿脇本陣大三河屋門、一度は家ごと移築されていたようですが、寄贈され再移築&復元され戻って来たようです。
他所の門として移築されていた物が、市に寄贈され、改めて元の場所に移築されたという、貴重な門。
2019.4/21に訪れました。ボランティアらしき方が説明してくれましたが、この門の屋根の隆棟の先端の鬼瓦がうさぎです。裏側は何もなく普通の鬼瓦があるだけなので表側と全然迫力、見た目が違います。説明にはありませんでしたが側面の懸魚(げげょ)という木製の所が大きく繊細で見事な彫り物です。こんな豪華で大きな懸魚(げげょ)ははじめて見ました。
脇脇本陣の門だけが残っているは淋しいですね。
見附宿の脇本陣(サブの大名用宿泊施設)の跡地です。見附宿は天竜川に接しており、増水時などは渡しが出ない事もあり、その場合は長期逗留もあった為か、なかなかに賑やかだったそうです。ここに設置してある薬医門は、明治以降は移設され平成17年まで民家の門として使用していたとのこと。って、民家で江戸時代の門を現役で使用するなんて、どんだけの豪邸だったんでしょう!市の指定文化財ですよ。うかつに自転車でひっかけたり擦ったりもできないですね。
江戸時代、宿場には街道を往来しる大名や公家が宿泊する施設として本陣が決められていた。脇本陣は本陣を補うための宿泊施設で本陣に次ぐ規模、格式を持っていた。大三河屋は初め旅籠屋であったが1805年に脇本陣になった。この門は2本の本柱に、冠木を渡し、その上に粱と切妻屋根を載せている。屋根は浅瓦葺きの切妻造りで大棟の両先端には、小型の鯱を配置し、大棟両端から降棟が付けられ、その先端には獅子を表した飾り瓦である留蓋が置かれている。かつて中泉の中津川家に移築され同家の門と使用されていたが、平成19年に移築復元された。
名前 |
見付宿脇本陣大三河屋門 |
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ジャンル |
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電話番号 |
050-3836-2928 |
住所 |
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HP |
https://www.city.iwata.shizuoka.jp/sports_midokoro/bunkazai/bunkazainitsuite/1002039.html |
評価 |
3.7 |
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東海道五十三次宿場巡りで訪れました。本陣跡は広場になっており、立派な門構えが建ってました。