武士の鑑、畠山重忠の館跡。
菅谷館跡の特徴
武士の鑑、畠山重忠の居館跡で歴史を実感できます。
続日本100名城の一つ、空堀が見事に保存されています。
鎌倉時代からの遺構が広がり、散策に最適です。
嵐山史跡の博物館に入館し、まず予備知識を身に付けて、本郭~ニノ郭~三ノ郭~西ノ郭の順に探訪したが、郭はどれもこれも途方に暮れるほど広々としていて、歩き甲斐があるし、土塁は高々として目を遮るし、空堀はゴクリとツバを呑むような深さがある。マムシ注意の掲示がやたらと目に付く…。元来が臆病者だから草むらに転がっている木の枝にギクッと立ち止まったり、ドキッと心臓が早鐘を打ったりで、視線の行き先が忙しい。大木も遠慮会釈なしに聳えているので、訪問するなら寒い時期がベストかも…。なぜならマムシ君は冬眠しているはずだし、葉っぱも落ちて見通しが良いから…。2025/2/14
国指定史跡\u0026続日本100名城の城跡。県の博物館も併設されているため、しっかり見ると思ったより時間がかかってしまう。今回は早朝のため、本郭周辺だけ。土塁と堀の傾斜はかなり急であり高低差もしっかりある。近隣は山城が多いが、ここは街道に近い平城。そのため地形に頼らずにしっかりと手をかけた造成をしたのだろう。各郭の土塁・堀の内側はかなり平らに整備されている。大勢の兵が集まるのに易く、拠点となっていたというのも想像しやすい。要所要所に説明板があるのでわかりやすい。説明板をイラストなどでわかりやすくしてくれるとより良いな。城好き、歴史好きはもちろん、近隣の方の散歩まで身近な城。城内にはイノシシ、マムシに注意の看板があるので気をつけて見学しましょう。(近隣ではシカの目撃情報もあり)
鎌倉時代に活躍した畠山忠重公の館跡を戦国期に山内上杉氏により城館として改築し、後に後北条氏がこの地に進出した際に後北条氏による改築とも言われている杉山城同様に謎多き城跡です。兵隊が大量に詰められる程の郭の広さや高土塁、横矢等綺麗に管理され真夏のカンカン照りでもそれ程ヤブヤブしておらず快適な登城が出来ました。小倉城、杉山城の帰りに寄った為入口が分かりづらかったですが埼玉県立嵐山史跡の博物館が無料駐車場になっています。こちらにはトイレ、博物館内に自販機あり。搦手口とされる駐車場入口の土塁は食い違い土塁です。空堀には水が入りこの時期より秋の方がオススメですね。一通り回りましたが自販機があって良かったです。館脇を通る砂利道を抜けると国立女性教育会館の交差点に出られます。
秋晴れの午後に伺いました。思っていたより広くて郭から別の郭に近道しようとしたら堀と土塁に行く手を阻まれました。今でも降りて登る気の無くなる深さがあります。いまだに侮れない館跡でございました。
畠山重忠。源頼朝の鎌倉幕府でも、もっとも信頼されていたと言ってもよい武将。頼朝死後、北条時政に陥れられた悲劇の将でもある。畠山重忠の居館があったと推察される場所。100名城スタンプは資料館内にあり、入場料無しで押せる。その奥に100円で入れる資料館あり。あくまでも、畠山重忠の居館跡というのは推察で、郭や建物跡、堀などはあるが畠山重忠の館跡であったという明確な証拠は無い。この近辺は畠山重忠の墓所なども多いのでいろいろ探索するのも良いのでは。
畠山重忠の屋敷跡だが、現在の遺構は室町期のもの。中世城郭の様子がよく分かる。
入館料100円で、出土品を見ることが出来ます。比企城館跡群なるクリアファイルもついてました。銭を紐で纏めた塊が興味深かったです。鎌倉時代は鋳造技術がなく、中国からの輸入品だったんですね、鎌倉殿の影響か、展示室入り口の畠山重忠が大声で自己紹介。経歴を語り始めます。
歴史館を見てから、城跡を見ました。城跡は高低差もなく、40分くらいで見渡すことができた。城主であったとされる畠山重忠の怪力伝説を聞いたからか、曲輪が基本的にだだっ広く、侵入されても戦ったら勝ちますスタンスなのかなと思いました。(完全に個人的見解)
鎌倉殿の13人で畠山重忠ファンになり、その居住と伝えられている菅谷館跡に行ってきました。あいにく雨が降っていたので、畠山重忠像を記念撮影して、菅谷館跡はざっと見て回る程度に。天気が良ければ、東京ドーム3個分の敷地でゆっくり自然観察が楽しめます。その中にある埼玉県立嵐山史跡の博物館(入館料100円)には、畠山重忠ロボットや回転劇場、展示があり、埼玉県の中世の歴史を学べます。静かにゆっくり過ごすことのできる学びのスポットです。
| 名前 |
菅谷館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0493-62-5896 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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武士の鑑とまで称えられた畠山重忠の居館。資料館も併設されています。資料館は、鎌倉武士とは?みたいな感じでテーマが大きすぎる気がしました。もっと畠山重忠のことを知りたかったけど、時代が古すぎてあまりよくわからないのかな。