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名前 |
諏訪神社奉祀跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
諏訪神社奉祀跡大字奈良梨天正8年(1590)の後北条氏の滅亡後、徳川家康は関東の支配体制の整備に着手しました。その中で家臣団の知行割りが行われ、奈良梨は諏訪頼水の領地となりました。諏訪氏は奈良梨に入り、ここに旧領の諏訪(長野県)から諏訪社を勧請しました。この地は今でも「天王原」と呼ばれています。諏訪社の跡地とされるこの場所には小さな石宮が建てられています。現在でも毎年10月の八和田神社の祭礼では、この地に神輿が渡御します。この祭りには、長い竹の先につけた鎌を「カマカツギ」と呼ばれる子供たちが持ち歩くという、この地域には見られない特徴があります。諏訪大社をはじめ長野県内の祭りでは「薙鎌」という特殊な鎌が使用されており、諏訪氏がもたらした祭礼の伝統がこの地に生き続けているのかもしれません。[昭和36年9月1日 県指定旧跡] 小川町教育委委員会。