石田三成の忍城遺構、歴史散策の旅。
石田堤史跡公園の特徴
現存・修復された石田堤は、水攻めのために築かれた歴史的な遺構です。
新幹線高架下では自動解説が流れ、訪れる人に分かりやすく歴史を伝えています。
歴史好きには有名な、「のぼうの城」忍城水攻めの石田堤。重機も無い時代、5日で利根川から荒川まて堤をつなげる土木工事。本当凄いです。公園の近くには、堤を破り水攻めを失敗させた箇所に橋があり、その名も「堀切橋」なるほど!こちらは土木遺産に認定されてるそうです。歴史深い行田の街をぶらりと散歩するのは良いですね。近くに駐車場もありますが、道が狭いので車の方は歩行者に気をつけてください。
石田堤を農民が決壊し忍城を救ったと信じていました。台風や豪雨で、耐えられずここが決壊したと書かれてあります。しかし、こんな離れた地に堤防を築く必要があった理由が知りたい。こんな広範囲が水没してしまったら、農民たちいい迷惑だったって想像します。
新幹線の高架下から南下すると現存·修復された石田堤を見られます。川がないのに堤防があるので、一見すると不思議な光景です(^_^)
公園に隣接してひっそりとしています。地域の方が当番で🚾の清掃をされていて気持ち良く利用出来ました、感謝‼️
のぼうの城で知られた石田堤、先日、職場の方に「忍城跡に行くなら堤のあとに行け。決壊した場所とかあるから」と言われ向かいました。別に史料館があったり展示物があったりするわけではありませんが、モニュメントから解説が流れてくるとか。私は聞き方が分からなくてウロウロしたあと諦めましたが🤣映画や原作読んだ人は脳内補完出来るので問題ないかと思いますが、初見でここだけ来ても、あまり楽しくはないかもしれません😓ですが、いわゆる「聖地巡り」ならば、欠かせない場所ではないでしょうか。
のぼうの城でも有名な石田三成の忍城攻めの遺構を今に残す歴史公園。石田三成は忍城を水攻めで落とそうとしました。その水攻めを行うために川を堰き止める堤を28キロにもわたって築造したのですが、その堤跡を残す場所がこちら。これだけ大規模な堤を作ったものの最後まで城を落とすことができなかったことは皮肉ですね。
新幹線高架下では人が来ると、自動で解説が流れ分かりやすく説明してくれます。
さきたま古墳から武蔵水路沿いの緑地を歩き、途中のローソンから右斜め道を進みます。静かな雰囲気で僅かに残っている堤を見ることができます。新幹線高架の下辺りです。
2021/7/61590年豊臣秀吉の命を受けた石田三成が忍城を水攻めする為に5日間で完成させた約28キロにわたる堤の跡地です。秀吉が攻めていた小田原北条氏が先に落ちた為忍城は健闘虚しく開城しております。三成のこの水攻めは水量の不足やこの公園の北端にある現在の堀切橋地点での堤決壊もあり失敗であったと言われています。この物語は小説及び映画「のぼうの城」に描かれています。尚さきたま古墳群の中の丸墓山古墳はその時三成が陣をはった場所でそこにも一部石田堤は残存しております。さて、新幹線の南側約200mの地点に無料駐車場がありトイレもあります。そこから残存する石田堤が始まり、新幹線高架下では堤がどのように積まれたのかがわかる堤の断面が見れ、また、音声による説明が聞けます。新幹線の北側100mほどには堀切橋、更に100mほどの所に堤の成立ちを説明した看板、妙心寺さんの水難慰霊碑があります。
名前 |
石田堤史跡公園 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-597-5581 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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石田三成の忍城水攻め。堤の跡がわりと綺麗に残っている。見て分かった事は正直高さが大した事なく、忍城が窪んだ土地にない限りは水没しきれなさそう、、と思われました。とはいえ長さ14キロの堤を5日でつくるとは。普請奉行としての三成はピカイチだったことは体感できました。