多賀谷神社と新川用水の恵み。
多賀谷神社の特徴
多賀谷神社の主祭神は倉稲魂命や菅原道真公で、信仰の対象が豊富です。
新川用水沿いに位置し、歴史のある地域の由緒を感じられます。
子供の頃の遊び場として、地域の人々の思い出深い場所でもあります。
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子供の頃遊んだ記憶があります。
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名前 |
多賀谷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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多賀谷神社(たがやじんじゃ)主祭神 倉稲魂命合祀神 家都御子命 熊野夫須美命 速玉男命 武御名方命 菅原道真公 大己貴命 大山祗命 少彦名命由緒新川用水(騎西領用水)沿いに位置する当地は、本来、外田ケ谷と一村でしたが、堤により二分され、内と外の二村になったと伝えられています。地内にある大福寺辺りは、武蔵七党野与党に属した多賀谷氏の、建久年間(1190~1199)から嘉吉年間(1441~1444)までの屋敷跡とみられます。多賀谷氏はその後常陸下妻城に移りました。当神社の創建は古く、室町時代(1336~1573)、当地の武士多賀谷光義が稲荷明神を勧請したことによるといわれています。多賀谷氏は武蔵七党の野与党に属し、源頼朝の上洛に随兵した際、弓始射手として活躍しました。光義は敬神の念厚く、稲荷明神を勧請した際、牛頭天王・熊野社・弁天社などの社も祀ったと伝わります。社記によると当神社は元来稲荷神社と呼ばれ、この社に集まり五穀豊穣と福壽とを併せて記念すると必ず効があるといわれたことから「福寿稲荷」とも呼ばれました。大正四年(1915)、多賀谷氏館の鎮守であったと伝えられる字中郷の熊野神社、同字の諏訪社、字上郷の天神社、同境内社御嶽神社の四社を合祀し、社号も地名をとって、多賀谷神社と改めました。主祭神は倉稲魂命で、農業の守り神として崇敬されています。当神社は、嘗ては、米麦の収穫後にコメバツ・ムギバツ(米麦の初穂)と呼ばれる氏子の物納により維持されてきました。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」及び「境内案内板」参照)