江戸時代の安房の須明神、静謐な空間で心の洗濯を。
安房神社の特徴
江戸時代の諸書に記載された、歴史深い神社です。
法華経寺近くに位置し、参拝後に訪れると良いです。
秋には銀杏拾いが楽しめる、地域に密着した神社です。
法華経寺赤門近くにある小さな神社です。中山ひな祭りの折に参拝させていただきました。ひな飾りは社殿の中に飾られていました。折り紙の雛人形もいただきました。静かな落ち着いた雰囲気の良い神社でした。
御祭神國常立命里見安房守大宮大権現山王大権現御沿革本社は江戸時代の諸書に『安房の須明神』または『安房の須祠』として記載されています。なかでも江戸名所図会には『安房須明神社』として「中山の北、池田というより北の岡にあり」と書かれ、挿絵を載せています。はじめに祀られた場所は中山村中山字砂原(現在の中山小学校敷地内)で、明治四十二年一月十二日、同敷地内にあった妙見社境内(御祭神、國常立命)に移され、妙見社を合祀しました。さらに大正四年政令によって大宮大権 現(中山四丁目・旧中山五〇三番地)、山王大権 現(中山三丁目・旧中山三六九番地)を合祀し現在地に建立されたのが、今日の『安房神社』です。【現地案内板より抜粋】中山法華経寺に隣接した、少し小高い丘の上に鎮座。目の前にコインパーキングあり。合祀された神社は、石碑として残されています。
法華経近くの小さな神社ですが綺麗で整備されていて、ご利益がありそうな気がする良い神社です。
境内は綺麗に清掃されていました。
法華経寺の参拝の時に、あわせて参拝する。中山雛祭りイベントの時には、お雛様が飾られています。
安房神社。御祭神は國常立命、里見安房守、大宮大権現、山王大権現。江戸時代では安房の須祠と呼ばれていたことから、今より小さかった事が推察される。
んなアホな、という話ですが。真夏の夕方です。6時間の立ち作業を終え、暑がりのわたしは下総中山駅で電車を降りる時まで直行で家に帰るつもりでした。しかし、なにか気を引かれて家と逆方向に足が進み、最終的にこの神社に辿り着きました。引越してきたばかりで土地勘もなく、普段から散歩する習慣もありません。通った道は知らない細めの道ばかり。そもそもこの神社の存在すら知りませんでした。横の坂道から通り過ぎかけて、ここで参拝しなきゃ、と感じて参拝させていただきました。鳥居を出て一礼した後、ドッと汗が噴き出してきて、ああ、早くお家に帰ろうと思いました。15分近く無心で歩いて、なんだったんでしょう。こんなことは初めてです。
江戸時代の諸書に『安房の須明神』または『安房の須祠』として記載されてる神社です。江戸名所図会には『安房須明神社』として「中山の北、池田というより北の岡にあり」と書かれ、挿絵を載せています。開運・育児の守り神・縁結びの神です。自治会の会館が敷地内にあります。
『江戸名所図会』にも載る歴史ある神社とのこと。移転や、他の神社の合祀なども行われて、現在の形に。下総にあるのに、安房(千葉県南部の旧国名)神社である由来はよくわからなかった。神額「神威炳」(神威あきらかなり、とでも読むか)には、「文部大臣高田早苗敬書」とある。東京帝大を出て、立憲改進党に加わり、第1回衆議院選挙に出馬して当選。大隈重信とともに早稲田大学を設立し、初代学長となった人物である。1915年の第2次大隈内閣で文部大臣となっているので、この額はその頃の揮毫だろう。どういう縁でそうなったのか、ご由緒書にも記載されていないのでわからなかったが。
名前 |
安房神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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中山法華経寺参拝後、安房神社に御参りした。御祭神は國常立命里見安房守大宮大権現山王大権現 とのこと。法華経寺のすぐそばで静かな佇まい。ブランコが有り、微笑ましい。